孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

今の状態だけを見て「イケてない」としても 人間は「光り輝く瞬間」を待っている生き物である

私の今の状態を見ると、誰もが「イケてない」と思うかもしれない。いや、知らない人が見れば、賢そうで礼儀正しかったり、言葉遣いが丁寧なので、私の事をそれなりの社会的地位のある人間と見る人もいるだろう。しかし、私自身は、「自分が思い描いていた人生」と大きく乖離して、「惨めな中年男」になろうとしている。決して言い訳をするつもりはない。私のこの40年間の人生は、本当に「何をやっても付いていない」「人生が裏目に出るばかり」と嘆きたくなるほど不運の連続であった。そういう私も、最初から「だめ人間」であったわけではない。かつては、謹厳実直に勉学やスポーツに励み、優等生であった。しかし、度重なる不運に遭遇して、自暴自棄のような状態になり現在に至っている。「セルフネグレクト」と言う言葉があるが、私は、そこまで酷い状態ではない。おそらく、私のような人間は、現代では非常に数多く存在するのではないだろうか。個々人によって抱えている事情が違うので、一様にある型にはめることが出来ないと思うが。そのようにひとりの人間の人生を放棄させる空気感が現代社会には蔓延しているように感じられてならない。「努力しても報われない」「最初から勝負が決まっている」というふうに、スタートラインに立つ前に「勝負」を諦めさせるような社会構造があるのが最大の原因ではないだろうか。だから、若者は、「親ガチャ」や何とか「ガチャ」と言う言葉を使うのだろう。私は、「人生の逆転劇」は必ずあると信じている。ただ、そのチャンスを上手く攫むには、相当の精神力と持続力が必要だと思う。大半の者は、少し努力して結果が出なかったから、また諦めてしまう。私自身は、何とかもう一度浮かび上がってみようと思っているが、上手くいかない。傍から見れば、「イタイおっさん」にしか見えないだろう。それでも良いと私は思っている。他人に罵詈雑言を浴びせられることを厭わないこと。これも、「精神力」を養ううえで必要なことである。普段の「イケてない」状態だけで、その人間を評価してしまう現代社会こそ問題ではないかと私は言いたい。私は、何十年かかっても、もう一度「光輝く瞬間」を取り戻したいと考えている次第だ。