孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

自意識過剰 感情過多 完璧主義 だから私は生きづらい 「ウザがられても」「罵られても」 私は「いいい加減な人間」になりたくはない

私が、社会生活不適応者なのは、おそらく生まれついた性格に拠る所が一番大きい。「自意識過剰」「感情過多」「完璧主義」などマイナスの要素を挙げて行けば枚挙に暇がない。黒か白かという二極化思考が出来ないのは、融通が利かず何かと生きづらい原因にもなる。西洋の人間は、日本人と違って、黒か白をはっきりと区別したがる。そういった意味で、私は日本人離れしているのだと思う。日本人は、他者との争いを避ける傾向が強い。周囲と摩擦を生じさせずに、「協調性」を大切にする。そうした習慣は、良い面もあるが、悪弊を生んだとも言える。「正義」を主張する人間を、組織の秩序を乱す「叛乱者」として見做し、迫害する。企業や組織において、「内部告発」というものが日本ではあまりにも少ない。仮にあっても、「正義」に拠るものではなく、「私憤」からくるものである。例えば、「自分だけ、利害を受けられなくなった」などという姑息な理由で、組織に反旗を翻すケースが大半である。「感情過多」というのは、私は普段物静かなのだが、何か自分の「規範意識」にそぐわないことがあると、「ブチ切れてしまう」ことだ。このことによって、私はどれだけ過大な不利益を被ってきたことか。自分が作り上げた「規範意識」について言えば、私の場合は、間違っていないと自信を持って主張できる。私の感というか、直感は、外れたことがない。幼児期の頃から、「嘘くさいもの」「偽善的なもの」を見抜く目は充分に養われてきたと思う。大人になるということは、たとえ「道徳的に間違ったこと」であっても、目をつぶり、素知らぬ顔をすることである。城山三郎という作家。「企業人」から評価がある作家であるが。「会社で出世していくのに必要なのは、我慢」と強調していた。私は、我慢が出来ない気質である。「完璧主義」については、良く作用ぜずに、悪く作用して損ばかりしている。何事もほどほどにするのが、ベストであるが、私には出来ない。今という社会を生きていくには私のような人間は異質のものとして排除されていく。しかし、私は、他人に何と言われても、「いい加減な人間」になりたくはない。