孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

東京の人は何故あんなに「スマート」に街頭インタビューに答えるのか? ただ、良く聞くと「中身のないこと」を話している 東京に住んで標準語を話しても元々「地方出身者」じゃないか!

先日、地元のローカルテレビ局に街頭インタビューされた。選挙のことで、もっと本音を話したかったが、「建前論」を話さざるを得なかった。どうも、私は、「建前論」が嫌いで、「本音優先主義者」である。いつもテレビを見ていると、東京の「渋谷のスクランブル交差点」で街頭インタビューをしているのを見る。あの映像を見ると、東京の人は何故「あんなに、スマート」に話すのかと思う。しかし、話している内容を吟味すると、およそ「中身のない」誰にで言えるようなことしか話していないことが分かる。やはり、「標準語」の力が大きいのであろう。私のように関西の地方都市に住んでいると、「標準語」を話す人に対して奇妙な「コンプレックス」のようなものを抱きがちだ。私だけかもしれないが。統計によると、東京都に住んでいる人の大半は、「地方出身者」である。「江戸っ子は、3代続いてこそ」というような言葉があるように、元々の「東京人」というのはごくわずかである。また、東京の中でも、「下町」と「山の手」があるようだ。「山の手」は、明治政府が成立されて、長州の武士たちが住み始めた歴史に遡る。池波正太郎という作家は、「江戸の粋」にこだわり続けた作家である。池波正太郎の本を読むと、生活の何気ない些末な事にこだわり、自分の美学を持つことの必要性を教えてくれる。くだらない「自己啓発本」を読むより、池波正太郎の本を読むことを勧めたい。しかし、その池波正太郎でさえ、「先祖」は富山の田舎である。一体、「純然たる江戸っ子」は東京の人口の何%ぐらいなのかと思えてならない。武士といえども、大半が「地方の大名の江戸上屋敷」に勤務する侍である。そうすると、旗本と御家人が、「純然たる江戸の武士」ということになる。そして、市井に暮らす庶民たちと。地方の人間が東京に住み始めるのは、大体が「大学進学」が契機である。そして、就職活動が上手くいけば、「東京の大企業」に就職して定年後まで勤務して、「東京の人」になることが出来る。どうも、私の「東京コンプレックス」は、そうした「エリートコース」から外れてしまった裏返しなのだろう。もう二度と「上京」することがないと思うと、一抹の寂しさに襲われる今日この頃である。