孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

日本一有名なニート Pha 新しい本を出版 テレビに出演したりして 普通の会社員より恵まれた生活をしている時点で「ニート」と言えないのではないのか!

日本一有名な京都大学卒のニートPhaが新しい本を出版した。Phaはシェアハウスで仲間たちと共同生活をするなど、「新しい生き方」を提示して若者の間で一時期カリスマ的存在であった。またSNSの発信に力を入れて、ネットだけでつながるというイマドキの人間関係の在り方をアピールした。Phaは京都大学卒業後、大学の事務員として働くが直ぐに辞めたという。ただ働くのが面倒という理由で。私がPhaに共感できないのは、人生の大きな挫折や苦悩を経験していないという点である。一般的にニートやひきこもりは何らかの社会不適応を起こしている。苦悩や挫折を経験したうえで、「既成の生き方」に対峙する新しい生き方を提示するのであれば、エールを送りたくなる。しかしPhaは人脈もあり、SNSの発信力もある。本人は、「人生やる気ない感」を強調しているが、どうも嘘くさく、打算的なものが見え隠れしてならないのだ。ビートたけしの番組でPhaたちが紹介されたことがあった。その時、互いに目も合わさずに、パソコンに向きあっている姿が映し出された。作為的な部分もあるだろうが、違和感を感じてならなかった。本当に無気力で人生を捨てた人間はPhaのような行動をしない。一切の人間関係を断ち、空虚な日常をやり過ごしている。Phaの本を読んだことがあるが、これは違う形の「自己啓発本」だと直感した。ハウツー本でしかない。人生に真摯に向き合った者だけが発する言葉の重みのようなものが全くないのだ。新しい生き方あるいは働き方を実践できるものは、ごく一部の人間に限定される。たいていの人間は「残酷な現実」を受け入れるしかないのが実情である。ニートにしろひきこもりにしても、「起業」などは夢の夢でしかない。「生活保護」を受給するという過酷な将来しか待ち受けていない。Phaの礼賛する大手新聞社も問題ではないだろうか。新聞の書評欄でPhaの本を紹介する。ニートと称しながら普通の会社員よりもある意味有名で恵まれた生活をしているPhaに胡散臭いものを感じてならない。