孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

マッチングアプリで 「ヤリモク」に出会った ヘビーユーザーの女が急に「道徳的な態度」を取る 自分のしていることをわきまえろと言いたい

日刊ゲンダイに連載されている、町岡マチ子という人間が「マッチングアプリ」で数多くの「ハイスペック男子」と出会ったことをネタにしたコラムがある。町岡マチ子は、ペンネームで、月に30人の男と「マッチングアプリ」で接触したことがある「アラフォー女子」だそうだ。不愉快でありながら、面白いので、つい読んでしまう。おそらく、実体験もあるが、かなり話を「もってる」所があるような気がしてならない。先日の話は、「ヤリモク」のイケメン男子に遭遇したエピソードが書かれていた。イケメンで、一流会社に勤務してそうな男が、「ヤリモク」であると悟った、町岡マチ子は、注意する。しかし、逆切れされて、「おばさんと、誰が、やりたいんだ。もっと若くて、かわいい子ならたくさんいる」と悪態をつかれた。そのことを町岡マチ子は、自分が、「マッチングアプリ」で、純粋な恋愛を謳歌したい、「真面目な人間」であるかのように印象づけていることに対して、私は、怒りを通り超して、絶句してしまった。この町岡マチ子に限らず、イマドキの女子は、そういう態度を取る者が大半ではないだろうか。「マッチングアプリ」を使って、交際相手しかも、「ハイスペックイケメン」を選ぶこと自体、不純な動機があるのに、相手の男が、「ヤリモク」であることが分かった瞬間に、自分が、「あたかも純粋な乙女のように変貌する」その女のずるさ、卑怯さを私は許せない。「ヤリモク」とは、「マッチングアプリ」で肉体関係を持ちたいために利用する男たちのことである。私は、「マッチングアプリ」で男女の出会いを求めることに断固反対する。「マッチングアプリ」が男女の出会いの主流になってきたのは、SNSの進歩もあるが、やはり一番の原因は、「恋愛弱者男性」が世の中の主流になって、異性とどのようにして付きあえば良いか分からなくなってきたからだと思う。「マッチングアプリ」も結局は、女が「男の顔」を品定めして、相手を選ぶ。リアルの出会いも、「容姿優先主義」であるが、「マッチングアプリ」もより「容姿優先主義」に拍車がかる。「ヤリモク」の男も質が悪いが、昔からこういう手合いは存在した。しかし、「マッチングアプリ」を利用しておきながら、「ヤリモク」に出会った瞬時に自分を「正当化する」。女は、「おしとやかで」「控え目に」と時代錯誤の事を言いたくなると同時に、もう少し自分の分際をわきまえるべきではないだろうか。

 

能ある鷹は爪を隠す 成功をひけらかことほど 野暮なことはない 「本物」の人間はもはや絶滅危惧にあるように思えてならない

各分野で、成功する人を見ていると、私のような凡人と違い、やはり「才能があるなぁ」と感心することが多い。しかし、最近の傾向として、自分の「成功の哲学」をひけらかす人があまりにも多くなった気がしてならない。出版社も、そうした成功者に本を書くことを打診する。何故なら、書籍が売れなくなったとはいえ、成功者の「ハウツー本」が、ベストセラーになるからだ。成功者も、本を書けば、必ず売れて、お金が入ってくると同時に、ますます知名度が高くなる。読者と、書き手と、出版社が一体となって、くだらない「ハウツー本」を社会に流通させているように思えてならない。また、成功しているとは言い難い者でも、SNS上で、自信の自慢をやたら流布させる手合いも増加してきた。誰もが、私生活を万人に公開できることは良いことであるが、その一方で、中身の伴わない事を他人にひけらかして、自己満足している。「日本人の美徳」などと、復古主義的なことは大嫌いであるが、昔の人たちは、現代人よりもはるかに謙虚であった。何十年も前に、中野孝次と言う作家が、「清貧の思想」を書き、話題になった。貧しくて、無名でありながらも、矜持を持った人たちが有名であるか、無名であるかを問わず、かつては存在した。中野孝次は、戦中派の人間で、リベラルな思想を持つ。貧困でありながら、苦学して、東京大学を卒業して、大学教授をしながら作家活動を続けた。その中野孝次が「清貧の思想」を書いたのは、バブル景気に浮かれて、人間として大切なものを忘れた日本人に対する怒りや戒めがあったのではないだろうか。SNSが進歩して、「テレビ」を見なくなったと言われるが、大間違いである。Twitterでも、話題になることは、「テレビの話題」が主である。そのためか、「テレビ」に出る人間は、どうしても、思い上がり、天狗になっている人が大半である。特に、「テレビ」のイメージと私生活が大きく乖離している場合が多い。「テレビ」のイメージでは良い人そうに見えるが、実際には、傲岸不遜という、裏表があるという噂を聞くことがある。成功すれば、周囲から、ちやほやされる。そのためか、初心を忘れて、人間が変わってしまう。成功しても、しなくとも、何一つ変わることなく、淡々と自分の美学を貫く人に、私は憧れてならない。

 

東京大学卒で高校の国語教師であった父親は何故 「家庭内暴力の息子」を殺害したのか? 理想的な家族に潜む病理はいつの時代でも変わらない

2019年に「ひきこもり」の息子を殺害した元農林水産省の官僚の事件が社会を震撼させた。父親の熊沢英昭被告は、東京大学を卒業してエリート官僚で、人柄も良く、人望も熱かった。息子は、私立の名門高校に進学するも、いじめに遭い、中退する。その後、絵に書いた「転落人生」を送るようになった。家庭内暴力が凄まじく、父親は、耐えかねていた。犯行直前に、川崎市で高齢のひきこもりが、無差別殺傷事件を起こしていたことと。殺害された息子が、小学校の運動会の声が騒がしいことに腹が立ち、「ぶっ殺す」と発言した。このことが契機で、息子も「川崎の通り魔」のような事件を起こすのではないかと思い、父親は、息子を殺害した。実は、同じような事件が、30年前にも起きている。1992年6月浦和市の高校の国語教師の父親が妻と共謀して、睡眠中に息子を殺害した。この息子は、成績優秀であったが、高校中退後、大検を合格して、私立大学に合格するが、中退する。しだいに、生活が乱れ、両親に激しい暴力を振るうようになった。両親は、耐えかねて、息子を殺害するに到った。浦和地裁では、懲役3年執行猶予5年というあまりにも軽い判決が下された。嘆願書が、8万以上も提出されたことが減刑につながったのだろう。この父親は、苦学して、東京大学に入学して、生徒からも慕われる申し分のない人間であった。また、息子も勉強だけでなく、スキー1級、音楽、絵画の才能もあり、決して、「ガリ勉タイプ」の優等生ではなかった。父親と母親は、息子の「家庭内暴力」を著名な精神科医に相談していた。しかし、悲劇を食い止めることができなかった。この息子は、厳密な意味で「ひきこもり」とは言い難い。しかし、「ひきこもり問題」がクローズアップされる前の1990年に、このような事件が起きていたことは、非常に未来を予兆させるものがある。傍目には、「理想の家庭」に映ったにもかかわらず、一体何が起きていたのか。私が思うに、東京大学を卒業して、分別もあり、周囲からも慕われていたからこそ、この事件は、起こるべくして起きたのではないだろうか。「自分の子供も、他人の子供と同じように、教育できる」という過信を、優れた教師ほど持ってしまう。この事が、悲劇を生んだ最大の原因ではないかと、私は思う。

 

20歳やそこらの若者に 腹が立ってしまう まだ成熟しきれていない私 「ジェネレーションギャップ」だけではない何か質の悪いものを感じてならない

気づけば、私は、41歳。今年もあと少しで、来年で、42歳になる。成人を迎えてから、もう20年の歳月が経過したことを考えると、「この20年間は、何だったのか」と思い悩み、夜になれば、後悔と悔悟の念に駆られて、眠れなくなる。しかし、「人様に何と言われようと、自分は、このようにしか生きられらなかったのだ」と開き直り、何とか折り合いを付けて生きるようにしている。「情けない中年」の自分を差し置いて。どうも、「Z世代」と言われる若者たちを見ていると、私たちの世代とは全く別の人種のように思えてならないのだ。「Z世代」は、様々な定義があるが、私の中では、物心ついた時から、携帯とスマホ、ネットをうまく使いこなせる世代だと思っている。私の場合は、2000年に大学に入学して、初めて、折り畳みの「携帯電話」を親に買って貰った記憶がある。また、大学時代もさして、「パソコンスキル」が必要とされなかった記憶があるような気がする。1981年生まれの私たちの世代は、「ポスト団塊ジュニア世代」に当たる。もう少し上の世代の「団塊のジュニア世代」のように、就職氷河期を経験した世代でもなく、極めて、中途半端な世代であり、何か他の世代と比較して、際立った「個性」がある人物が非常に少ない気がする。「ジェネレーション」論で、全てを論じることは、慎重であるべきだが、「最近の20歳代」の若い子を見ていると、「私たちの頃より、非常に質が悪い」のではないかと思えてならないのだ。一言で言えば、「斜に構えて、悟りきっている」「妙にクールで大人じみている」という点だ。「おどおどしていない」ことは、良いことだけれど、人生経験もないにもかかわらず、その「根拠のない自信」は何処から来るのかと疑問である。ありきたりな解釈かもしれないが、彼らの「根拠のない自信」は、「仮想現実」によって作られたもので、悲喜こもごもの体験によって裏打ちされたものではない。不惑の年齢を過ぎても、成熟しきれていない私であるが。20歳やそこらの若造に負けてはならぬという「自負」だけは、持って生きていこうと思う。

「丸正事件」在日韓国人と知的障害者を犯人にでっち上げた恐怖の冤罪事件 見るも無残な「警察」の拷問 被害者家族を「真犯人」として告発して、「名誉毀損」で訴えられた正木ひろし、鈴木忠五弁護士の勇気ある行為

数多くある冤罪事件の中であまり知られていないが、これほど無実であることが、明白であることと劇的なドラマを内包した事件は、類を見ないのではないだろうか。その名は、「丸正事件」という。昭和30年5月に静岡県三島市で、丸正運送の女店主が殺害された。5月30日に犯人として、トラック運転手の李得賢と助手の鈴木一男が、別件逮捕される。昭和32年に、第1審判決で、李得賢は、無期懲役。鈴木一男は、懲役15年という判決が下された。「丸正事件」については、別件逮捕した上で、激しい取り調べによって、「虚偽の自白」を引き出させるという、典型的な警察の捜査が、遺憾なく発揮された。李得賢と鈴木一男の両名を犯人にでっち上げるために警察は、凄まじいまでの暴行を加えた。殴る、蹴るは当たり前。血を抜くという異常な行為。そして、李得賢は、在日韓国人であったために、日本式の正座に慣れていなかった。そこに目を付けて、連日連夜「正座」を強要するなどした。しかし、李得賢は、どれだけ警察官たちから激しい暴行を受けても、最後まで、犯行を否認し続けた。一方、知的な遅れがあった鈴木一男は、犯行を直ぐに認めてしまう。この事件は、鈴木一男の自白と、「丸正運送」の女主人が殺害された時間帯に、李得賢と鈴木一男が乗った「トラック」が犯行現場の近くに停車していたという目撃証言。そして、女主人が殺害され時に使用された、「手拭」が、李得賢のものであるという間接証拠しかなっかた。これだけの証拠で、2人の犯行とされたことは、いかに「デタラメな裁判」であったことを証明していると思う。「丸正事件」では担当弁護人の正木ひろし、鈴木忠五両弁護士が、被害者の親族3人が犯人であると東京地検に告発する。しかし、親族から名誉毀損で訴えられた。正木ひろし弁護士は上告中に死亡。鈴木忠五弁護士は、有罪が確定する。昭和49年に鈴木一男は、満期出所。昭和52年に李得賢は、仮釈放されて、出所する。そして再審請求をするが、無罪を勝ち取る前に2人は死亡してしまう。弁護人が、被告を救済するために、被害者の親族を告訴して、名誉毀損で訴えられるというのは、裁判史上においては前代未聞のことである。しかし、正木ひろし、鈴木忠五弁護士の自分の身を顧みず、被告のために弁護士人生を賭した勇気ある行為は、無私の精神であり、尊ぶべき美しい行為であると思う。そして、在日韓国人知的障害者を、無惨な暴力で、「犯人にでっち上げた」た警察の蛮行は、許すまじきものである。

 

 

周囲からは「危ない人」「サイコパス」と勘違いされてしまう私 どうしても「生真面目さ」や「誠実さ」が裏目に出てしまうように思えてならない

私は、社会生活不適応者である。しかし、第三者が、「私をどのように見ているか」が十分過ぎるほどに理解できる。どうも、私を「危ない人」「サイコパス」と勘違いする人が多いような気がしてならない。おそらく、私の律義さや古風な態度が、およそ今風の若者の価値観から大きく逸脱して見えるからだ。今の時代は、「軽いこと」が好まれる。話し方であっても、会社やフォーマルな空間以外で、丁寧な言葉遣いをしてしまうと浮いてしまう。私は、非常に「丁寧な言葉遣い」をしてしまう習慣がある。おそらく、そうしたことは、家庭環境の影響が大きいのだろう。私の生育史を振り返った時に、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」という教条主義的な価値観に縛られて、柔軟性を失った堅苦しい人間に育ってしまった気がしてならない。もし、これが、官僚や超エリート会社で働いていたら、私は、損をするより、そうした態度が受け入れられ、上司や部下から支持されて、私は違和感を感じることなどないだろう。しかし、私は、人生の途中で、そうしたエリートコースに乗ることを自主的に放棄した。私の中学、高校の友達たちは、官僚や弁護士医者と言った超エリートになって活躍している。もはや私と住む世界の違う人間になってしまった。しかし、私は彼らを見ていると、非常に「くだらない人間」にしか思えないのだ。まず、彼らに共通するのは、想像力の欠如。自分が挫折したことがない者に、どうして「社会的弱者」の気持ちなど理解できるだろうか。弁護士になった者でも、「刑事弁護」という最大の人権問題に関わることは絶対ない。企業法務ばかりで、お金を儲けることばかり。従順に勉強して、超難関大学を卒業していても、人間としての魅力を全く感じさせないのだ。少なくとも、エリートコースを順調に歩いている同級生よりも、私の方が、「人を見る眼」であったり、「物事の本質」を射抜く能力では、はるかに優れているという自負はある。いつか、私の生き方のスタイルが、万人受けして、もう一度、何かを成し遂げ、人生の逆転劇を演じるという野望だけは、忘れずに生きているつもりだ。

二階俊博 コロナ療養期間にも関わらず「県知事選挙」の応援に 地元メディアは「タブー視」挙句の果てには「ヨイショ本」まで出版する有様

11月10日の和歌山駅前には、和歌山県知事選挙に訪れた大物政治家や関係者が、大勢集まった。その中で最も注目するべき人物は、やはり二階俊博である。二階俊博は、予定時刻の30分前に到着した。そして、「岸本さんを推そうと、一丸となっていることを嬉しく思う。これからも、県政のために力を戴きたい」と県知事候補の岸本周平を応援した。今回の和歌山県知事選挙は、世耕弘成参議院議員が擁立した、候補が途中で、断念せざるを得なくなった事情がある。岸本周平は、旧大蔵省出身で、トヨタ自動車担当部長などを経て、民主党から衆議院議員になった人物である。本来であれば、二階派とは縁遠い人物である。しかし、岸本周平は、地元の各種団体に強力な影響があった。また、地元のラジオ番組に出演したり、街角に立って、県民に声をかける「独自の選挙スタイル」が好評を博して、非常に人気があった。政治の素人が見ても、今回の和歌山県知事選挙は、岸本周平の一人勝ちであった。そのため、二階俊博も、内心では気に食わない岸本周平を擁立する以外はなかったのだと思う。この辺に二階俊博の海千山千の政治家の凄みを感じる。しかし、看過できない事があった。二階俊博は、11月3日以降発熱の症状があり、5日に医療機関を受診したら、陽性であった。つまり、11月10日は、療養期間中であった訳である。それにも関わらず、和歌山まで駆けつけて、「ノーマスク」で選挙の応援に来たことになる。和歌山市では、「コロナ感染者」の「療養期間」は、「発熱日を0日として、7日間は自宅療養してください」と定めている。しかし、週刊誌フライデーが二階俊博事務所に問い合わせると、「感染症の専門医の指示のもと、東京都の定める療養期間のルールに従って、適切な行動を取っている」とコメントしただけ。しかし、東京都福祉局によると、「発熱日を0日として、7日間経過し、かつ症状軽快から、24時間が経過している場合。8日目から療養の解除が可能」となっている。この基準からすれば、二階俊博は、明らかなルール違反となるのではないだろうか。この件については、地元メディアは、一切触れようとしない。地元メディアから、二階俊博の本が出版されるほどの、「保守王国」である和歌山。全てが、「持たれあい」「馴れ合い」の旧態依然とした土地柄は、リベラル派を標榜している、新しい岸本周平新和歌山県知事にも必ず受け継がれることは間違いないだろう。