尾崎豊の歌を聞く度に、不愉快になる。学校の管理教育に反発するかのような歌詞のおオンパレードである。少なからず、尾崎豊も思春期の頃に学校の管理教育に反発を感じたであろう。しかしたかだが知れていると思う。当時の中学は荒れる学校と言われ、不良たちが教師に凄まじいまでの反抗をした。そのエネルギーの源泉はやはり偏差値教育が激しくなっていく中で、落ちこぼれた生徒は行き場のない怒りを暴力でしか表現し得なかったのであろう。尾崎豊は自衛隊の事務官の父を持ち、勉強の良くできたという。慶応志木高校を受験したが、落ちて、青山学院高校に進学している。何故尾崎豊はわざわざ過激な詞を書いて、歌を歌ったのだろうか。やはり私は自分にない性格に人は憧れれるからだと思う。自分は不良には到底なれないから、歌の中で不良を演じた。そうい意味で考える尾崎豊は天才的であろう。ただ尾崎豊の歌は当時の不良たちには不評ではなかったのではないだろうか。むしろ普通の若者たちに受け入れられた。不良たちは、横浜銀蝿、嶋大輔と言った歌手に心酔したのではないだろうか。ただ私はクレイジーケンバンドこそ本物の不良の歌だと考えている。私自身クレイジーケンバンドのファンだから。特に横山剣。彼など不良性感度を持った最高の人物だ。山口組の司忍組長に似ていると言われているが。それは横山剣の持つアウトロー性である。もう少し時代をさかのぼれば、クールスというロックバンドがいた。舘ひろしも所属していた。クールスもやはり不良性感度を持ったバンドであった。1970年代に彼らがやった音楽はあまりにも早過ぎた。一部の熱狂的なファンがいたが、市民権を得られなかった。尾崎豊な度彼らに比べると、小粒でしかない。深夜のラジオを聞いていると、頻繁に尾崎豊の歌が流れる。死後も新なファンを獲得してるほどである。尾崎豊の兄は弁護士である。尾崎豊も生きてれば、芸能界を辞めて、違う道に方向転換したのではないかと私は思う。繊細過ぎる人間が不良の歌を歌うのはやはり不自然だ!