いよいよ来年で高校を卒業して、25年目になる。
何故かしら、私の学年が智辯和歌山のなかでも勉強の良くできた奴が多かった。
彼らは、学校の「管理教育」。特に智辯和歌山のような「田舎の進学校」は東京の麻布、開成、そして灘やラサール高校のような自由な気風がなく、一刻も早く「進学実績」をあげるために、徹底的な管理教育を施した。
私は国語の暴力教師に蛇蝎のごとく嫌われ、こいつに反抗する意味で、勉強を放棄した。
週に3回、空手道場に通い、ランニングをして体を鍛えた。
教師のやり方に反発せずに、勉強した奴は、東京大学や国立の医学部に進学して、その後もエリート街道を邁進している。
ただ弁護士になった奴を見ていると、大企業の顧問弁護つまり「企業法務」ばかりで「刑事弁護」の道に進んだ人間はいない。
何か言いたいのかと言うと、「おかしい教師」に違和感を感じない神経をしている人間は、冤罪に巻き込まれた社会的弱者の気持ちなど到底理解できないということだ!
私は来年で44歳の情けない中年男になる。
44歳からは、一気に50歳になって老化が始まると生物学的に言われている。
しかし私にも意地と矜持がある!