1994年に私は智辯和歌山中学に入学した。
受験勉強を親から強いられず。
智辯和歌山は、野球で有名であるが、その当時「進学実績」が良かった。
東京大学に10名以上合格。
麻布、開成、筑波大学付属駒場、ラサール、灘などの都市圏の進学校には足元にもおよばないが、地方の賢い子供が進学していた。
私も向学心に燃えていた。
ところがである。
入学早々、国語の暴力教師に目を付けられて、蛇蝎のごとく嫌われた。
こいつは、「俺はボクシングをやっている。空手をやっていた。」中学生に吹聴して、気に食わない子供に「空手の回し蹴り」をするなど、信じがたい体罰を加えていた。
そいつをぶん殴ってやりたい気持ちから、私は家の近くの空手道場に通い始めた。
そうすると、この暴力国語教師の「空手のまわし蹴り」は素人の蹴りに過ぎないと分かったのである。
つまり、こいつは「格闘技をかじっていただけで、子供を脅し、悦に入っていた」のである。
それから30年。
朝日新聞の和歌山版にこの暴力国語教師の名前が掲載されたのである。
内容は、共通テスト。
「きっと勝つという意味で、キットカットを生徒に配ったやさしい教師」としてである。
私は新聞を読む手が震えた。
30年間こいつは辞めさせれられずに、智辯和歌山に勤務し続けたことだ。
私はこの国語の暴力教師に反抗するため、一切勉強をしなかった。
始めは、ブチ切たが、勉強しない奴と思い、何も注意しなくなった。
私の人生はこの国語の暴力教師との出会いで一変した。
今朝もそいつの暴力を止める夢を見た。
勧善懲悪夢物語。
汚い奴が得をする社会。
仏教では、濁世という。
この世に仕置人が存在すればと願うばかりだ。