若松孝二と言う映画監督がかつて、全共闘世代から支持された。晩年は、メジャー映画を撮ったので、知っている人も多いと思う。しかしメジャーになってからの若松孝二監督作品は明らかに質が低下した。やはり「ピンク映画」を撮っている頃の方がクオリティーの高い作品を撮った。これはすべての映画監督に言えることだけでども、有名になると、商業ベースに乗せられてしまい、その監督の「作家性」が全く映画に行かされなくなるのである。若松孝二監督は映画監督であるが、農業高校出身である。かつて映画監督は高学歴であった。例えば、東映やくざ映画を撮っている映画監督などは東大出身者で占められていた。「インテリがやくざ映画」を撮って、やくざが映画館に足を運ぶという不思議な現象が起きていた。日活ロマンポルノというものがあった。日活が一連の石原裕次郎の映画がヒットしなくなって、苦肉の策として、「ロマンポルノ」を制作し始めたのである。大半の社員は日活を去っていったが、中には生活のため日活に残って「ロマンポルノ」を撮る映画監督も存在した。彼らは、男女のセックスを通して、「人間の深淵」に迫った作品を世に送り出した。その一方で「ピンク映画」というジャンルもあった。一流の映画会社ではない、小さい制作会社が商売のために裸映画を量産した。この「ピンク映画」で活躍したのが、若松孝二監督である。若松孝二監督は映画監督になる前にやくざのような事をして生きていた。その時に警察官から酷い仕打ちを受けたことが、創作への原動力となった。映画の中で、「警察官を殺す映画を撮りたいと」思うようになった。実際に若松孝二監督は、ゆけゆけ二度目の処女という作品で、主人公に次ぎのセルフを言わしめている。「ママ僕出かける 僕のおまわり殺しに」と。凄いセリフである。私は警察組織から誰もが経験しないような人権侵害を受けた。この経験は1冊の本に出来るほどである。また私は子供の頃から映画監督になりたかった。「警察官を殺す」というセリフを主人公に言わしめる映画を撮る若松孝二監督の心情が理解出来るのだ!