ここ数年に週刊文春が報じたスクープで私が最も評価しているのは広河隆一の女性への性的強要やわいせつ行為だ。広河隆一なる人物は戦場カメラマンとしてパレスチナの難民を撮影したり、反原発を訴えたり、社会正義を声高々に主張してきた人物である。福島第一原発の事故の際には、子供たちを沖縄に保養させるなどして、被災者に寄り添う行為をして注目された。2018年に週刊文春が報じた内容は「写真を教えてあげる」などと言って、ホテルに呼び出し性的行為を強要した。また被害に遭った女性は17人という。広河隆一に逆らうことができなかったという。広河隆一は文春にはまられたと主張していたが、デイズジャパンは広河隆一の行為を認定していて、写真展も中止になっている。おそらく週刊文春の報道は事実であったのだろう。戦場カメラマンには胡散臭い人物が多い。渡部陽一などもその最たるものだろう。ただ広河隆一は社会派として活動していただけに、衝撃を受けた人も多かったのではないだろうか。広河隆一は学生時代はブントの学生運動の闘士であったという。これまでの「左派文化人」としての広河隆一の実績があるために、週刊文春の報道に対して沈黙をも守っている人たちがあまりにも多すぎる。おそらくその人たちは、「自分が広河隆一の裏の顔を見抜けなかった」ことを恥じている。また「あの広河隆一さんがそんなことをするはずがない」と信じたい。そういった感情があるのではないだろうか。私からすれば、広河隆一は「裏の顔」があった。ただそれだけの事と納得する。「左派文化人」の中にはやはり「世間に見せる顔」と「裏の顔」を使い分けていることが多々ある。もちろん「裏表のない」本当の人格者もいるだろう。有名になれば、なるほど人は驕りや高ぶりを持つものだ。五味川純平という作家がいた。この人は非常に質素な家に住んでいたという。五味川純平は裏表のない、本当に正義を貫いた人間であった。残念ながら、言動一致する「本物の人間」というのはごくわずかではないだろうか。
本当の自分を他者に開示することは 公開オナニーをするようなものだ 作家あるいは小説家はそれが出来る特殊な才能がある 私には到底できそうもない しかし気概だけはあるつもりだ!
志向性の高いブログをほとんど見たことがない。またそう言った重たいテーマのブログを普通の人は求めていないのかもしれない。私自身も迷っている。志向性の高いあるいは自分の人生を見つめる深刻な文章を書こうとするが。やはり「アクセス数」が気になって仕方がない。どういうネタを書けば、「アクセス数」が増加して、万人受けするか分かるからだ。しかし、そういうネタばかり書くにはやはり不本意で乗る気がしないものである。作家あるいは小説家という人たちは文章を書いて糊口をしのいでいる。ただ最近の若い物書きは底の浅い、読むに耐え得ない作品しか書けない。本物の作家は自分の人生を作品の中に投影させていく。物書きは孤独である。そして孤独でなければ、作家にはなれない。最近は手書きの作家が皆無になったが、昔の大作家は手書きであった。五木寛之先生は今の手書きで原稿を書いておられるようだ。五木寛之先生は手書きであるために、手の運動をされるとおっしゃられている。指の運動をされるのだと言う。五木寛之先生は90歳を過ぎて、さすがに日刊ゲンダイの連載の文章レベル低下してきた。無理もない話であるが、普通の90歳であれば原稿用紙に文字を埋めて幾度頃の話ではない。作家が一番脂が乗っている時期というのは何時ののだろうか。私は40歳代後半から50歳代中盤までではないかと考えている。20歳代、30歳代で「作家としての絶頂期」を迎えて、その後はあまり優れた作品を書いていない作家も多い。大江健三郎らがその最たるものではないだろうか。それとは逆に歳を取るごとに、文章の質が高くなっていく作家がいる。藤沢周平などが挙げられる。一般人のブログが下らないのは話しを盛ってまで、万人受けする事を書いていて、「パッション」「怨念」「狂気」といった世間一般ではネガティブな事とされている要素が全くないからだ。私は一流作家には到底なれない。しかし、「パッション」「怨念」「狂気」だけは誰よりも持って文章を綴っているつもりだ。
私の毎朝行喫茶店 前は和歌山大学のアルバイトの子で要領が良かった 店長が病気になって 皆辞めて 知り合いの22歳の子を採用した この子は不登校であったり心理的に問題がある それでも真面目に働いている この子がいない時常連客に「障害者手帳を取って、ひきこもりになれ」などの露骨な暴言 また「サイコパス」の客の悪口 おそらく毎朝各紙新聞を必死で読んでいる私の悪口を言っているだろう ただ言えるのは「社会に適応できない人間」をクズ扱いすることは絶対許せない
私の毎朝行く喫茶店の店長が人の悪口を言いたい放題している。
自身が病気でイライラするのだろう。
この喫茶店は何十年も和歌山大学の学生がアルバイトをしていた。
しかし、店長が体の不調を来たし、イライラを学生たちにぶつけるようになった。
そのため和歌山大学の学生次と辞めていった。
その代わりに店長の知り合いだろう。
この子はイマドキの20歳代とは思えないほど真面目に働く。
「コミュニケーション能力」が劣っているのは否がめない。
そのことを店長は常連客に話して、悪口を言いたい放題しているのだ。
また、サイコパスの客。
おそらく、精神疾患がある60歳ぐらいのおばさん。
このおばさんの悪口も言いたい放題。
40分かけて新聞を真剣に読んでいる私のことをボロカスに言っているだろう。
私は「おかしい振り」をして、周囲を冷静に見ている。
おそらく、私の正体をこの店長は気付いていない。
客商売で人を見る眼を自負しているが、とんだ「節穴」だ。
「社会に適応できない人間」をクズ扱いすることを私は絶対許せない。
この喫茶店に行くのをやめようかと思うが、新聞を何紙も読んで、それが私の役になっているので、行くことにしている。
それにしても思うのはこの店長に限らず、世間の人は「その人の真実の姿」を見抜け「人間に対する鋭い洞察力」がないことだ。
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もう今日こそ短い字数で適当にブログを書いて 他の事をしようと思っているのに クソ真面目に800字でブログを書いている そんな私こそ「依存症」だ!
今日はものすごく忙しかった。毎晩明日こそは、字数を少なくして、適当にブログをこうとするのだが、いざ同じ時間帯になれば、「クソ真面目」にネタを考えて、800字以上の文章を書いている。今も左翼系雑誌への投稿が終わったところだ。この左翼系雑誌は月に1回発売。それも、ハガキで投稿しなければならない。このハガキがまた書きにくいのである。イマドキ、手書きで投稿するメディア媒体は少ない。ハガキが滑って、字が書きにくいのである。それでもこの雑誌は一部の人間の間では人気がある。自分の名前が掲載されるとやはり嬉しいものである。他の左翼系雑誌の投稿は、パソコンでできるうえに、自分でテーマを決めて投稿できる。そのため、非常にやりやすい。私が「はてなブログ」を始めたのは、そうした投稿だけでは物足りなくなったからだ。「はてなブログ」の最初の頃は自分の関心のあるテーマを書いたので、短時間に書き上げることができた。しかし次第に「アクセス数」が増加し始めると、私の関心のあるテーマを書くと、3分の1に「アクセス数」は減少した。他のネタを探すのが苦労するのだ。一生懸命書いて、100アクセス以上あっても誰も評価されない。それでも私は「はてなブログ」を辞めようとしない。私の異常なまでの負けん気の強さと完璧主義もあるが、「依存症」というのもあるのではないだろうか。毎日同じ時間帯に、はてなブログに800字以上の文章を書くと言う依存症だ。依存症は第三者のアドバイスではなかなか治らない。自分の思考パターンを根本的に治さなければ、完治しない。私は他人の言うことを絶対に受け入れる性格ではない。しかしそれでも良いと最近は思うようになった。性格などは40歳を過ぎて治るものではない。やはり3歳までに遺伝と環境によって決まってしまうものだ。私はこの性格で損ばかりしてきたが、まだ人生を諦めていない。勝負はこれからだと思っている。おそらく明日も誰にも評価されない「はてなブログ」に800字以上の駄文を投稿しているだろう。
メルカリ スキマバイト 登録者200万人以上 一見して良いようだが メルカリに搾取されていることに気付かない メルカリは儲け放題
メルカリがスキマバイトを始めた。
登録者は200万人以上という。
1時間だけ働いても良いという。
一見して、「新しい労働観」のように感じられるが、メルカリに搾取されていることに気付くべきだ。