孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

本当の自分を他者に開示することは 公開オナニーをするようなものだ 作家あるいは小説家はそれが出来る特殊な才能がある 私には到底できそうもない しかし気概だけはあるつもりだ!

志向性の高いブログをほとんど見たことがない。またそう言った重たいテーマのブログを普通の人は求めていないのかもしれない。私自身も迷っている。志向性の高いあるいは自分の人生を見つめる深刻な文章を書こうとするが。やはり「アクセス数」が気になって仕方がない。どういうネタを書けば、「アクセス数」が増加して、万人受けするか分かるからだ。しかし、そういうネタばかり書くにはやはり不本意で乗る気がしないものである。作家あるいは小説家という人たちは文章を書いて糊口をしのいでいる。ただ最近の若い物書きは底の浅い、読むに耐え得ない作品しか書けない。本物の作家は自分の人生を作品の中に投影させていく。物書きは孤独である。そして孤独でなければ、作家にはなれない。最近は手書きの作家が皆無になったが、昔の大作家は手書きであった。五木寛之先生は今の手書きで原稿を書いておられるようだ。五木寛之先生は手書きであるために、手の運動をされるとおっしゃられている。指の運動をされるのだと言う。五木寛之先生は90歳を過ぎて、さすがに日刊ゲンダイの連載の文章レベル低下してきた。無理もない話であるが、普通の90歳であれば原稿用紙に文字を埋めて幾度頃の話ではない。作家が一番脂が乗っている時期というのは何時ののだろうか。私は40歳代後半から50歳代中盤までではないかと考えている。20歳代、30歳代で「作家としての絶頂期」を迎えて、その後はあまり優れた作品を書いていない作家も多い。大江健三郎らがその最たるものではないだろうか。それとは逆に歳を取るごとに、文章の質が高くなっていく作家がいる。藤沢周平などが挙げられる。一般人のブログが下らないのは話しを盛ってまで、万人受けする事を書いていて、「パッション」「怨念」「狂気」といった世間一般ではネガティブな事とされている要素が全くないからだ。私は一流作家には到底なれない。しかし、「パッション」「怨念」「狂気」だけは誰よりも持って文章を綴っているつもりだ。