孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「文は人なり」と言うが 書いた文章とその人間の「実像」が一致しない 「ブログ」などもそうしたことが多いが、私は「裏表のない人間」になりたい

文は人なり」という言葉があるが、実際は、書いた文章とその人間の「実像」が一致しないことの方が多い気がしてならない。売れっ子作家などを見ていても、きれいごとを論じながら、実生活では傲岸不遜な態度を周囲の人に取るということが非常に多い。特に、「ブログ」の世界は、その最たるものではないだろうか。芸能人は、売れるために、「ブログ」を利用する。かつては、芸能事務所のマネージャーがしていた広報のような仕事を、芸能人自らが「ブログ」でするパターンが増加し始めた。電撃入籍の報告を、SNS上でするという芸能人までいるぐらいだから。しかし、一般の人たちは、何のために「ブログ」をするのだろうか。「アフリエイト」のためにする者もいるだろうが、有名芸能人の「知名度」に足下も及ばないだろう。おそらく、文章を書くことによって、「自己表現」するあるいは、他者からの「承認欲求」を満たすために「ブログ」を書くのではないだろうか。「承認欲求」のために、「偽りの自己」を演出する人があまりにも多い。そこまでして、「承認欲求」を満たしたいものなのかと私は違和感を感じてならないのだ。確かに、人との「つながり」の在り方として、「顔の見えない、緩い関係」は、「リアルな人間関係」よりも楽で気休めになり得るものである。私は、逆で「顔の見える関係」を絶対視する主義だ。あまり他人のブログを見ないのであるが、「話しを盛った」ブログがあまりにも多い。楽しければ良い、面白ければ良いというは大いに結構であるが、「嘘」を書いてまで、自己の「承認欲求」を満たそうとするのはいかがなものかと思えてならない。私は、文章を書くことに対して「コンプレックス」があるが、何かを伝えたいという「パッション」があれば、文章の技巧はどうでも良いのではないかと最近考えるようになった。万人受けすることよりも、文章を書く作業を通して、自己研鑽を図るようにしたいと思う。また、「話しを盛る」ようなことは絶対したくない。ネット上においても、「リアル」においても、私は裏表のない人間になりたいと心がけているつもりだ。