孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

あまりにも激しすぎる感情を 日々の生活で押し殺さざるを得ない私 「ブログ」と「左翼的雑誌」への投稿だけでは限度がある しかし私は絶対に諦めない

私が、「ブログ」を始めたきっかけは、ある社会問題に関心を持ったからである。しかし、この問題について書くと、閲覧者の数が、3分の1に減ってしまう。別に閲覧者の数が減っても構わない。そもそも、読者が18人。それも、もうすでにブログをやっていない者もいる。世間で知られていない社会問題をもっと多くの人に知らしめるには、軽い「芸能ネタ」なども書いて、ある程度「私のブログ」の存在を知らしめなければいけない。そのため、「ネタ」を探して書くのが非常に大変である。しかし、40歳を過ぎれば、知力が衰えてくるので、長い文章を書くことによって頭の体操にもなると思って、とりあえずが続けている。私が、関心を持った社会問題は、専門家が独占していると言っても過言ではない。絶対に「朝日新聞」や「毎日新聞」の読者の投稿欄に投稿する一般人はいない。そのためか、私は、「左翼系」の雑誌に投稿する。いくら「左翼系」の雑誌といえども、編集者が、その社会問題にのみに関心を持っている訳ではない。やはり政治問題が主である。私の投稿も限度があるということだ。私が悔しいのは、専門家がこの社会問題を独占していて、素人が口を出すなという「コンセンサス」が共有されていることである。しかし、私は、この社会問題に関しては、「語る資格」があると胸を張って言える。何故ならば、普通に人間が生きていくうえでは、絶対に体験し得ないような体験をしたからだ。だから、専門家は、社会的地位があるかも知れないが、頭だけで書いている。しかし、私は、「あまりにも激し過ぎる感情」を文章という形で表現することで、何とか荒ぶる感情を抑えてきた。しかし、私ごときが「左翼系」の雑誌に投稿しても、ほんの小さい記事として掲載されるだけである。専門家の書いた「文章」は、表面的な知識の羅列に終始していることが多い。まさに専門バカである。しかし、私は、「情念」でひとつひとつの言葉を紡いでいる矜持がある。とにかく、もっと「影響力のある立場」になって書きたいが。しかし、私は、諦めずにこの社会問題と対峙していきたいと思う。