孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

文章を書くこと「業」である プロの作家は 深夜 皆が寝静まった後に「地獄の苦しみ」の中で文章を綴っている 「ブログ」を書く人たちの「中身のない文章」にはそうした「パッション」がない!」

文章を書く事は、ある種の「業」である。プロの作家は、「自由業」で人間関係に煩わされないで、気楽な職業のように思われているが、大間違いである。深夜皆が寝静まった後に、「地獄の苦しみ」の中で文章を書いている。原稿用紙1枚「400字」を書くのに、どれだけの「労力」が必要であることか。三浦しおんは、一つの作品を書き上げると、肉体的に「ボロボロ」になって、茫然自失のような状態になるとあるインタビューで言っていた。最近の作家は、「小手先の技術」だけで文章を書いている者が多い。また読者も、「シリアスで重厚な作品」を好まなくなった。本来、作家というものは、「書かずにおれない衝動」に駆られて文章を書くものである。「過酷な闘病」を経験して、「人生の辛苦」を味わって、「作家」の道に進んだ人たちが多かった。吉村昭藤沢周平という「昭和2年生まれ」の作家がその最たる例である。この人たちの書く作品は、重厚で人間の本質を見つめたものである。「過酷な闘病」と「人間を見つめる厳しさ、やさしさ」が根底にはある。最近は誰もが、SNS上で「文章」を書くことが出来て、自分の意見を発信できるようになった。しかし、「くだらない文章」ばかりで読むに価いするものは皆無である。ただ、「自己承認」を求めているだけの「底の浅い」ものでしかない。「社会に対する怨念」あるいは「自らの理不尽な境遇に対する怨念」のようなパッションが全く感じられない。私は、「左翼系雑誌」の投稿だけで物足りなくなって、「ブログ」を始めたが、「自分の関心」のあるネタ以外の「文章」を書くのにものすごい苦労をしている。毎晩800字以上を書く事を日課としていて、それも超忙しい時間を割いて、「短時間」で書き上げる。それにも関わらず、全く評価されない。いい加減、「うんざり」してきたところだ。今年は、元旦から「体の調子」が悪い。それでも「ブログ」を書いて、100アクセス以上あるのに、誰にも評価されない。「私も人間であるから」腹わたが煮えちぎられる思いだ。