孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ノマドワーカーとか自称して チェーン店の喫茶店で パソコンで仕事をする そんな人間は実力がない 本当に才能のある人は他人に悪戦苦闘している姿を見せない

私は、大の喫茶店好きである。毎朝、必ず行くのは、駅前の「純喫茶」である。イマドキこのような喫茶店があるのかというぐらいの古びた喫茶店で、コーヒー1杯が330円。大体の常連客が、近辺で働いているサラリーマンで占められている。偶然に、ふりの客が入店すると、この喫茶店の異様さに驚いている。私は、もう10年以上もこの喫茶店に通っている。マスターとは最低限度挨拶しかしない。他の客も同じで、他の純喫茶にありがちな、「客と店主の関係」を超えた交流というのが全くない。私がこの店を気に入っているのはそこである。ただ40分間ひたすら各紙「朝刊」をチエックする。私は、この「純喫茶」以外に、チェーン店と喫茶店にも頻繁に行く。よほど、喫茶店好きなのだろう。そうしたチェーン店に行くと、必ず人間観察をしてしまう。何故か、「変な人」が目に付いて仕方がないのだ。そうした所で、ノートパソコンを開いているサラリーマンを見かける。また、首都圏のチェーン店の喫茶店では、「ノマドワーカー」を自称して仕事をしている人たちがいる。そうした人を見ると、「仕事の空間」としては便利であるが、本当に「才能」と「実力」があるとは思えないのだ。人それぞれ、「集中力」が発揮できる「空間」は違うだろう。しかし、本気で何かに取り組もうとすれば、やはり「独りになれる空間」がベストではないかと私は思う。有名作家たちは、誰もが寝静まった深夜に「孤独」の中で、「原稿用紙」のマス目を埋めていく。一つの言葉、一つの文章を書くのにどれほどの「労力」が必要とされるか。作家は、体力と精神力必要とされるというのも納得である。喫茶店で衆人環視の中で「ノートパソコン」を開いて作業している人には、そうした「本気度」のようなものが全く感じられないのだ。最近は、「作家」の書斎というものが注目されなくなった。一流の作家の「書斎」は、うず高く本が積まれていたりするケースが多い。そうした他人を寄せ付けない「空間」で仕事をする人間が本当の「プロ」であり、チェーン店の喫茶店で「ノートパソコン」を開く人間は偽物にしか見えないのだ。