孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

幻聴と妄想に支配されて独り言をしべっている精神障害者を露骨に差別して 連帯感を持つ「普通の人」の残酷さ 「多様性」が云々と言う前にこうした「差別」こそ根絶されるべき

今日は、喫茶店で明らかに統合失調症患者である人間を見かけた。その人は、独り言をしべっているので、妄想や幻聴に支配されている典型的な統合失調症患者であろう。最近は、街でそうした人を見かけることが少なくなった。統合失調症の軽症化と、重篤精神病者は、病院に閉じ込めているかのどちらかという「日本の精神医療」の宿痾のようなものがいまだに残っている。その人が、喫茶店に入店した時は、私はそこにいてなかった。おそらく、独り言をしゃべりながら、会話が成立しなかったのではないだろうか。その人が帰った後に喫茶店のマスターが、客に話かけて、露骨な差別発言をするのである。そのマスターが言い放った内容は、「入店を断ろうと考えたが、我慢をした」「警察を呼ぼうかと考えたが、それほどの事ではないと思った」。そして客は、「暑くなってきて、おかしな人もいる」と返答した。この客の顔を見ると、人相が悪く、とても常識人には見えない。この人相の悪い客と喫茶店のマスターは、「精神障害者を差別すること」によって連帯感を持っているのだと私は思う。私が大学生の時に京都に行った時にもそのような「露骨な精神障害者差別」を見たことがあった。その時は、私は差別をした人間に対してブチ切れた。京都のバスの運転手が、「バスの中で独り言をしゃべりながら、運転席に近づく少年」に対して、汚物を扱うような口調で、「あっちへ行っとけ」と吐く捨てたのだ。この少年は、京都のバスに乗って、養護学校に通学しているのである。だから毎日このバスに乗って、運転手とは顔見知りであるはず。だとすれば、少年の障害に理解を示すべきではないのか。それどころか、「汚物」を扱う如く所業。私は、運転席に近づいて行って、運転手に「あなたが今やったことは、差別発言ですよ」と言ってやった。そうすると運転手は、真っ青になり、沈黙してしまった。おそらく、京都市に電話をされることを恐れたのではないだろうか。京都市の公務員であるから、そうした発言が上層部に知れ渡ると、大問題に発展する可能性が高いからだ。精神障害者という「異形のもの」を差別することによって、互いに「連帯感」を持つ。こうした心性は、人間の普遍的なのものであると同時に非常に残酷である。