ネット社会になって、様々な情報を入手しやすくなった。また、Amazonやメルカリでどんな田舎にいても自分が買いたい商品を購入できる。ただ、到着時間に誤差があるが。テレビなんかで、東京の渋谷で若い人たちの街頭インタビューを見ていると、一見して「都会風」で、あか抜けているように見えるが、発言している内容をじっくり聞いていると、「馬鹿でないのか」と思うことが非常に多い。東京に住んでいる人間の大半は、実際に「地方出身者」で占められているという統計がある。「3代続けば、江戸っ子」と言われるように、先祖代々が「東京」に住んでいる人間はごくわずかではないだろうか。ただ、東京で暮らしている人間は、地方在住の人間よりも、「おしゃれをする」点においては、条件がかなり有利であることは間違いないだろう。東京に「美人」が多いと間違った「幻想」を抱いている人がいまだに多い。人口が多いから確立的に「美人」が存在する割合が高いだけある。大体が、「ブス」ばかりというのが現実ではないだろうか。田舎に住んでいて「意識高い系」の人間が、妙に「東京の文化」の真似をすることが多々見受けられる。「自分が、田舎者」であるというコンプレックスの裏返しに過ぎないと思う。何処に住んでいても、精神性において非常に「粋」であればそれで良いと私は思う。「粋」というのは、難しいものである。コミュニケーションにおいて、他者との「距離感覚」の取り方に「粋」であるか「粋でない」かが一番表れる。「都会的」な精神は、他者と「べったりした関係」を好まない。「クール」だけども、根底には「人間に対するやさしさ」がある。「田舎者まる出し」は、他者と「群れずにはいられない」。最近「ぼっち」を敬遠する若者が増加してきた。長野で無差別殺傷事件を起こした青木容疑者も、「ぼっち」を女性に笑われたと供述している。「ぼっち」と他者から思われることを敬遠するのは、「田舎者の発想」である。「社交性」は十分にあるのだけれど、「他者とある程度の距離」を置く。そうしたスタイルこそ「粋」なものである。「クール」だけども「根底には人間性がある」私は常にそういう人間でいたい。