孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

群れたがる人ばかり 特に「はてなブログ」などその最たるもの 本物の人間はたとえ「独り」であっても自分が正しいと思うことを主張し続ける

最近の社会は、群れたがる人が大半で、自分が正しいと思うことを主張しない風潮が極めて強い。「はてなブログ」などを見ていても、その傾向が如実に現れている。基本的に、「ブログ」に関係は、顔が見えない。そういう媒体で、奇妙な連帯感を持ってどうするのかと私には思えてならない。ブログだけの「バーチャルな関係」を拠り所にする人の気持ちというのが分からない。大半のブログが、「話しを盛った」嘘くさい、適当に書かれたもので、自分の読者を増やし、「自己満足」に浸っている者だ。そういう者に限って、「リアルな社会」では、冴えないことが多い。最近の若者は、「人と違う」事を極端に恐れる。「ぼっち」という言葉が象徴するように、「独りで居ることが恥ずかしい」とされる。長野県で、無差別殺人を起こした青木容疑者も、「ぼっちで居る」ことを女性に笑われたという犯行動機を語っていた。青木容疑者の場合は、何らかの精神疾患に罹患していた可能性が強い。しかし精神疾患による「妄想」であったとしても、「ぼっち」を過剰に気にしていたことには変わりない。やはり、「友達がいない、根暗な奴」と他者から思われることを極端に恐れる空気感を若者たちを支配していると言って良いだろう。何かを成し遂げる人間は、絶対に「人と群れない」生き方を貫く。かといって、他者との接触を一切絶つのではない。表面的には、他者に対して友好的である。しかし、「べたべたした関係」を好まない。「自分のテリトリー」を持っていて、そこを侵害する者があれば、断固とした反抗的な態度を取る。そうした「自分の美学」を持った者があまりにも少なすぎる。その原因は、やはり「ネット社会」の影響が一番大きいだろう。「常に他者とつながっていない」と不安で仕方がない。Twitterやインスタあるいは「ブログ」で他者からの承認を求める。この裏側には、「自分に自信がないコンプレックス」があるとしか言いようがない。「他者からの承認」よりも「自分がどのように納得するか」の方が大切である。本物の人間は、たとえ「独り」であっても、「自分が正しいと思うこと」を主張し続けると私は思う。