孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ブログなどで「ひきこもり」「ニート」を自称する手合いは本当の「社会生活不適応者」ではない 声を出せずに「ひきこもっている」のが真実である

ブログなどで、自分のことを「ひきこもり」と称して、発信している者があまりにも多い。しかし、彼らの書いた文章を読んでみると、到底「ひきこもり」には思えないのだ。まず、文章の行間から、苦しみや焦燥感、あるいは、絶望感のような切羽詰まったものが全く感じられない。何故か、「ネタ」として、「ひきこもり」や「ニート」と名乗って、自分のブログを他人に読んで貰って、自己満足しているようにしか、私には感じられない。まず、長期間にわたって、ひきこもっている者たちは、ブログやSNSで、自己語りをしない。何故ならば、彼らは、長期間も社会との接触を断って、孤独に生きているからだ。そして、自分のこと第三者に理解してもらうことを、もうすでに諦めている。「セルフネグレクト」という言葉が象徴するように、自暴自棄になって、生活を立て直せない状態にある。ブログなどで、「ひきこもり」や「ニート」と称している者たちの中にも、現在は無職の者もいるだろうが、一時的な状態であって、軽症の部類で、何かアルバイトをしていたり、ただ単に、現在は「無職」であって、直ぐに働き出し始める者が大半ではないだろうか。高齢のひきこもり当事者たちが置かれている状況については、行政の支援を全くうまく機能していない。「寄り添う」「見守る」などと、嘘くさい美辞麗句で、「ひきこもり支援」を掲げている支援者ほど、信用できない。また、何十年も「ひきこもっている」のだから「精神疾患」を持っていて当然と言う傾向があるが、これも大間違いである。何十年間も、ひきこもっていても、精神に異常を来していない場合がほとんどである。高齢のひきこもり当事者は、がんじがらめの状態にあり、自分の精神状態をうまく、「言語化」できない。だから、ブログやSNSで、「ひきこもり」や「ニート」と称して、饒舌に語る手合いは、偽物である。高齢の「ひきこもり当事者」たちを支援する上で必要なのは、まず、彼らの「声にならない」絶望や苦しみを少しでも、理解しようとする真摯な態度ではないだろうか。