孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

自民党の「裏金」よりも「警察組織」の裏金の方が闇が深い 愛媛県警で 内部告発した仙波敏郎氏 「ニセ領収書づくり」を断り続け「報復人事」 おそらく今でも各都道府県警察で「裏金づくり」がなされている

自民党の裏金より闇が深いのが警察組織の裏金作りである。2000年代に北海道警察の原田宏二氏が内部告発して、各地の都道府県警察で裏金作りを内部告発する人物が現れた。もっとも有名なのは、愛媛県警の仙波敏郎氏である。2005年に愛媛県松山市内の弁護士会館で仙波敏郎氏は、愛媛県警の長年にわたる裏金作りの実態を公の席で暴露した。仙波敏郎氏は、警察学校をトップの成績で卒業して、志を持って警察官になった。ところが待ち受けていたのは、裏金作りという「警察組織の腐敗」であった。1973年に仙波敏郎氏は巡査部長の昇任試験に合格して、三島署に就任した。幹部会議の後に、会計課長から声をかけられて、「三人分の住所・氏名をこちらの領収書に書き写してくれ」と言われる。しかし、仙波敏郎氏は、「私文書偽造になるので書きません」ときっぱり断わる。「裏金作り」を断ったために、仙波敏郎氏は報復人事を受けて、38年間制服勤務つまり「私服の警察官」にはなれないという屈辱的な仕打ちを受けることになった。仙波敏郎氏が愛媛県警の裏金作りを暴露してから、衝撃的な事件が起きる。仙波敏郎氏の消防士の息子が消防署内で副署長を刺殺してしまうのである。息子は「特別指導対象者」「問題職員」と見做されていた。これには裏があった。息子は、上司から暴行を受けるなど消防署内で嫌がらせを受けたいた。警察と消防は非常に近い関係にある。そのため愛媛県警内で「裏金作り」を断り続けている仙波敏郎氏の息子も同じように厄介者とされたのではないだろうか。さらに試練にさらされる。妻が病に倒れ、56歳という若さで逝ってしまう。過酷な状況の中で、「オンブズマン愛媛」の弁護士らと「愛媛県警の裏金」を追求するが、裁判においては「警察の裏金作り」は認められない結果となった。仙波敏郎はその後政治家になった。警察の裏金作りを最初に告発したのが、キャリアの松橋忠光氏。おそらく戦後ごくわずかの時期から、「裏金作り」は常態化していたに違いない。ただ多くの警察官は、自らの保身のために見て見ぬ振りをしているだけ。「内部告発すること」は警察組織にとっては裏切り者でしかない。また熾烈な報復が待ち受けている。ごく最近も広島県警の「裏金」を内部告発した勇気ある人物がいた。いずれにしても、「警察組織の裏金作り」は相当に闇が深い。