桜井章一が新しい本を出版した。これまで多数の本を出版したり、映画の原作となって桜井章一を心酔する人たちは世間に多い。桜井章一は雀鬼と呼ばれた「麻雀」の世界で生きてきた雀士である。大学4年の時に麻雀を覚えて、新宿の雀荘で「裏プロ」を引き受けて、20年間無敗のまま現役を過ごしたという。麻雀を人生の勝負に喩えたのは作家の色川武大。別名で阿佐田哲也だ。阿佐田哲也の本なども桜井章一と同じように、「いかにすれば人生で勝つことが出来るか」と言った名言や格言を残した。ただ、私からすれば、疑問符を付けたくなる点があまりにも多過ぎるのである。純文学を書く時は、色川武大。麻雀小説を書く時は、阿佐田哲也。阿佐田哲也の小説は週刊大衆などで連載されて当時の若い世代に支持された。桜井章一は「勝とうとするな 負けの99%は自滅である」説いている。果たしてそうだろうか。勝ことばかりに固執して、全体の流れが見えなくなってくることを戒めたいのだろう。麻雀のように運と実力が相互作用する世界では、全体の流れを読み切ることが何よりも大切なのは当然である。しかし、勝者はやはり「負ける」という不安を絶対持ってはいけないと私は思う。「負ける」とう不安が頭によぎった段階ですでに勝負に負けている。格闘技の世界でも同様ではないだろうか。やはり強いボクサーは絶対に数秒で相手をKOしてやると言う気迫がある。桜井章一は将棋の羽生さんとも対談している。将棋と麻雀という共通点の多い世界での天才の対談をわざわざ本にすること自体に私は出版社のいやらしさと商業主義を感じてならない。桜井章一の「自己啓発本」はおびただしく出版されている。どれもこれも同じような内容である。一度読んだことがあるが、全く中身のないものであった。この種の本に夢中になる人は絶対に「勝負」に勝てないだろう。桜井章一が本物なのかは分からない。しかし一つ言えることは、本当に勝負に強い人間が「自分の美学」をやたら喋るかどうかということだ。その点で私は桜井章一を疑う。