孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「石橋を叩いて渡る」ほど気の弱い、あるいは神経症者の方が時には 「勝負」に勝つこともあると思う ただその度合いが難しい

「修羅場の人間学」、春日原浩という本を読んだ。この本は、作家阿佐田哲也が残した言葉を長年付き合いがあった編集者の春日原浩氏が厳選して、エピソードとともに、解説したものである。作家阿佐田哲也は、麻雀小説で有名であるが、今の若い人はほとんど知らないだろう。別名義は、色川武大ともいう。団塊の世代阿佐田哲也を知らない者はいないというぐらい人気がある作家である。「麻雀」の勝ち負けと人生を重ね合わせて、多くの名言を残した。「9勝6敗」が勝負事においてちょうど良いなど。「修羅場の人間学」という本の中で、春日原浩氏は面白いエピソードを紹介している。車谷長吉という作家と阿佐田哲也の知られざる関係を詳細に書いているのである。車谷長吉という作家の知らない人が大半であると思う。文学に詳しい人であれば、車谷長吉は、奇行が多く、他者を攻撃し、日常生活において破綻している「神経症者」であった。車谷長吉は、慶応大学出身で、「修羅場の人間学」の著者である春日原浩氏と先輩、後輩の間柄。車谷長吉は、直木賞を受賞するまで紆余曲折を経る。直木賞を受賞すると、「俺は一発勝負に出て勝ったのだ」と周囲に吹聴する。春日原浩氏は、「強迫神経症者」で誰からも愛されなかった車谷長吉の方が、阿佐田哲也よりも「本当の勝負師」ではなかったかと言う。私は、この一文が非常に印象に残り、真実味があると思った。人生の勝負においても、「石橋を叩いて渡る」ほど慎重な人間、気の弱い人間あるいは、「神経症者」の方が一見して「メンタルが強い人間」よりも勝つのではないだろうか。何かを成し遂げる人間というものは、普通の人間と脳の構造そのものが違っている。思考回路そのものが、凡人には及びつかないことが儘ある。ただ、「神経症者」というものは、時には自らが作りだした「宿痾」に苛まれ、破滅に向かい日常生活を送れなくなることがある。その陥穽に陥らないように、どのようにして、勝利への道に進むかということが課題なのだろう。「勝ち負け」というものは最後まで分からないが、とにかく言えることは、「神経症者」のように時には「パラノイア」のごとく一つの事にこだわり続けることであると、私は思う。