孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

見城徹 顔が一番のコンプレックス それを原動力に「モテ男」に 団塊の世代はそれが通用する しかし現代ではそうはいかない所に問題がある

見城徹と言えば、幻冬舎代表取締役社長で出版業界の大物である。編集者としての作家への交渉術には賛否両論あるが、仕事に賭ける情熱はただならぬものがある。一体その情熱は何処に根源があるのだろうか。見城徹は、インタビューで、「自分のコンプレックスは何か」という問いに対して「自分の顔」と常々答えている。確かに、いかつい顔であり本人にとっては、コンプレクッスなのだろう。しかし、聞き手に対して、「見城さんは、モテますよね」と言われ、本人は、否定しないどころか肯定している。見城徹は、実際にモテるのは事実である。そうしたスキャンダルも過去にあった。ただそれが、「社会的地位を得てモテる」のか「純粋に見城徹に人間的魅力があるから、モテる」のかは分からない。見城徹は、私の父と同じ年である。昭和25年の寅年。所謂、団塊の世代の最後の学年である。団塊の世代の人たちも見ていると、仕事に対して非常に情熱を傾け、「仕事が生きがい」という男たちが多い。学生時代は学生運動に身を投じながら、転向して社会の歯車になり、バブルの恩恵を被ったという意味では、どこか矛盾を感じる。団塊の世代の男は、現代ほどに「見た目」を気にしなくても良い。何故なら、「仕事が出来る人、頭の切れる人」がモテたからである。だから、見城徹は、「自分の見た目が悪い」というコンプレックスを原動力に仕事に情熱を傾けたのではないだろうか。「モテたい」というのは男の本能である。しかし、現代はそれほど単純な時代ではなくなった。学歴が高く、頭も良くて、人間的に魅力があっても、女性に「モテる」とは限らないからだ。バブルの頃に、成人を迎えた世代くらいからだろうか。女性たちの間で、「モテる男」の基準が大きくパラダイムシフトした。以後、30年間その基準というものは全く変わっていない。女のような中性的な顔がもてはやされるようになった。そうした男を商品のように、所有したいだけの女が増加したことが、現代の男たちを生きづらくさせている最大の原因であると私は、思う。見城徹のように「見た目が悪くても何かを成し遂げた男」がモテるという時代は、もはや遠い昔のことになった。