孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「草食系」「ヤサ男」「見せかけだけのマッチョ男」ばかり 本当の男は「東映やくざ映画」的な「釣りは要らねぇ」と言う硬骨漢だ

何時の頃からか、「モテ基準」が大きく変わった。おそらく、80年代頃からだと私は考えている。昔は、寡黙で、男臭く、誠実な男が、モテた。そもそも、モテるという概念すらなかったのではないだろうか。男は、真面目に働いていれば、誰もが結婚できた。そのため、女からどのように思われているかなど気にする必要などなかった。団塊の世代ぐらいもそうした傾向がまだ残っている。団塊の世代の男は、結婚した女性のことを「うちの家内」と呼ぶ。おそらく「うちの家内」という呼び方は、フェミニストから敬遠されるものだと思う。自分が結婚した女性は、「自分の所有物」と曲解されてしまう恐れがある。しかし、団塊の世代の男は、女性に対して「誠実な人間」が非常に多い。彼らは、リベラルでありながら、女性に対しては、「封建的」である。そうしたことが批判の的になる。しかし、フェミニストに迎合して、実際は、女性の人権を侵害している「言動不一致」の軽薄な男が今の時代あまりにも多すぎる気がしてならない。「封建的」な考えを持った男の方が、実際に「女性の人権」を尊重している場合もある。そうしたことにフェミニストは、全く気付いていない。フェミニストは、非常に視野狭窄で、物事を一面的にしか捉えることができない。「草食系」という言葉が、一時期流行した。これは、女の都合の良い「男の理想像」でしかない。「草食系」は、恋愛強者であるが、意図的に恋愛に無関心を決め込む。どうも、最近の男は、ある意味「類型化」しているように私は思えてならない。「マッチョ」にこだわる馬鹿男がかなりの数存在する。彼らを見ていると、「アホ!」と言いたくなる。「見せかけだけの筋肉」を自分のアイデンティティーとする底の浅さ。彼らの筋肉は、実践では使いものにならない。「筋肉」というものは、事後的に付いてくるものである。プロボクサーの肉体がその最たるものである。手段と目的が逆転していて、「マッチョ」な肉体に固執することほど馬鹿なことはない。女の方も、「細マッチョ」がタイプなどいう馬鹿がいる。全く、救いようがない時代になったものだ。本当の男は、東映やくざ映画に出てくる「釣りは要らねえ」とやせ我慢をする硬骨漢ではないだろうか。そういう漢が絶滅危惧種になったのが非常に残念だ。