司法試験の短答式の結果が発表された。司法試験は短答式と論文式そして口頭式がある。短答式は、パズルのような問題で、「受験テクニック」が必要とされる。情報処理能力の高い東大生などにとっては簡単な問題である。しかし論文式となると、数学のように答えが一つと言う問題ではなく、論点を絞って文章を書いていかなければならなく、たとえ東大生であっても、そう簡単に「合格点」を満たす解答を書ける訳ではない。ただ、最近は法科大学院が出来て、司法試験に受かるための授業がなされ、以前よりも司法試験の合格が敷居の高いものではなくなってきた。つまり法科大学院に行けば、受かりやすいようになったのである。前置きが長くなったが、昔は司法試験を何十年も受け続けているが、合格出来ずに「司法浪人」と呼ばれる人たちが存在した。彼らは、家が金持ちなので、アルバイトもする必要もなく、ただ「要領の悪い司法試験の勉強」だけをすることが日々の生活であった。彼らの勉強法は、暗記だけ。応用能力がなく、ただ六法全書の条文をマル覚えするだけ。今の時代であれば、彼らをひきこもりと定義づけることが出来るのではないだろうか。「家族以外との人間関係がない人」ことがひきこもりの最大の特徴である。しかし最近は、「自称ひきこもり」「偽ひきこもり」が増加してきた。「生きづらさ」を抱えているだけで、ひきこもりと自称する。司法試験を受け続けるが、合格出来ずに人生を終えてしまう人に対して世間は寛容であった。一見馬鹿にしているが、仕方のない人とどこか大目に見てやるやさしさが人々の心の中にあった。司法試験を受け続ける人だけでなく、社会に適応できない「ダメ人間」に対しても同様であった。いつの頃から社会が「異質な存在」を排除するようになったのだろうか。バブル景気の少し前、1980年頃からではないかと私は考えている。私自身も警察不祥事、冤罪に関心があって、文章を投稿しているが、それだけで満足していない。やはり「弁護士資格」を持って、刑事弁護に人生を賭けたかったと後悔しているのだ。これから司法試験を受けるのは遅すぎる。人生を間違えたと夜も眠れない状態である。