孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ひきこもり ニートの次に作られた SNEPとういう言葉 定着せず 結局はひきこもりもニートも 自分で名乗って「アイデンティティー」を満たしている偽物が多すぎる 本当に支援されるべき人が声を出せない社会である!

SNEPという言葉が2015年頃に玄田有史という社会学者によって作られた。20歳から59歳以下の在学中を除く未婚の無業者のうち、普段ずっと一人でいるか、家族以外の人と2日連続で接していない人を指す。玄田有史は、ニート問題でも独自の見解を語り、一部の人たちから猛反発を買った。SNEPという言葉が生まれた時に引きこもり界隈で有名な勝山実は、「また人を差別する新しい言葉を生み出した」という趣旨の言葉で玄田有史を批判した。勝山実の批判が正鵠を射ていると私も思う。ブログなどでニートやひきこもりを自称して、既視感の強い文章を書いている人間があまりにも多い。彼らの書いたブログは非常にくだらない。何故ならば、心の底から沸き起こって来る苦悩や絶望をありのままに綴っていないからだ。適当にニートやひきこもりならあり得る想定を予期して書いているからである。そもそも本当のひきこもりはパソコンで文章を書くことさえ厭い、完全に心を閉ざしている。謂わば、セルフネグレクト状態にあって、昼夜逆転で1日中横たえているのではないだろうか。長期にわたってひきこもった人間はもう「自分の未来がない」と思い込んでいる。また行政の方もありきたりな支援しかしていない。「働けない」から精神疾患に仕立て上げて、精神障害者福祉手帳を申請させて、精神病患者にさせてしまう。あるいは、普通雇用が無理と決めつけて、精神障害者の作業所で働かせたりする。これが果たして「ひきこもり支援」などと言えるだろうか?またひきこもりという概念も極めて曖昧になってきた。2000年頃に斎藤環がひきこもりと定義した。あれから20数年が経過して、まだひきこもっている人も少なからずいる。こうした深刻なひきこもり当事者が不可視になっているのが現代である。その代わり、多少の生きづらさを抱えていただけで、自称「ひきこもり」と名乗って得をする人間が増加してきた。ひきこもりに限らず、やはり本当の社会的弱者が声を上げられないのが現代社会である。