孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ニート 「働いたら負け」はすでに死語に 結局働き始める者が大半 断固として「働かない」という意思を貫く猛者は稀である

ニート」の「働いたら負け」という言葉が一時期流行した。2004年の朝の情報番組「とくダネ」で現代の働かない若者についての特集をした。街を歩いているニートと思しき男性に「どうして働かないのか」と聞いた時に、その男性が「働いたら負けかなと思っている」と答えたことが発端である。この男性の坊主頭と歯の抜けたルックスが強烈な印象を与えた。ネット上では、この男性と起業家の田端信太郎氏が良く似ていることから同一人物ではないかというガセネタがあるが、余りにも馬鹿馬鹿しい。「ニート」を世に広く知らしめたのは、玄田有史である。玄田有史は、若者の労働観について研究していて自分の都合の良いように解釈した。それに対して、「ニートって言うな」という本を出版して、玄田有史を批判して、一種の「ニート」論争が生じた。ニートの定義は、就学・就労もしていない15歳から29歳の若者を指すようである。しかし日本においては、ひきこもりと「ニート」が混同し、様々な弊害をもたらしたように思えてならない。ひきこもりは、家族以外と人間関係がない。一方、「ニート」は友達もいて、コミュニケーション能力に問題がないが、「働く意思がない」とされた。はっきり言ってこの線引きは出来ないと思う。ただ私の実感としては、「ひきこもり」の方がかなり精神的に追いつめられているように感じられる。「ニート」の方は、「自分のやりたい仕事を見つければ、明日からでもすぐに、働ける」状態にある人たちではないだろうか。「働いたら負け」といった若者は、おそらく現在は働いているに違いない。人間は妥協する生きものである。「働く者食うべからず」という価値観がいまだ根強く残って日本社会において、「働かない」という主義を貫き通すのは余程の覚悟がいる。親が金持ちで、「働かないでも、一生食うに困らない遺産」を残してくれる者は、ごくわずかである。大半の者が「ニート」を卒業して、嫌々ながらも何らかの仕事をしているのが現実ではないだろうか。個人的には、「生活保護」ではなく、「ベーシックインカム」のような制度を作り、「働かなくても生きていける社会」の実現が望ましいが、それは絶対不可能だろう。