孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

大和市 子供同士のトラブルで 刺青を見せて脅した暴力団員の愚かさ

2021年2月24日、知人夫婦を脅して、土下座をさせたとして、強要の容疑で、大和市の無職の一ノ瀬貴浩容疑者が逮捕された。一ノ瀬容疑者は、「自分の子供がいじめられている」と激怒して、2020年12月8日自宅に子供の同級生の父親と母親を呼びつけて、生命にかかわる脅しをしたうえに、土下座を強要した疑い。一ノ瀬容疑者は、指定暴力団山口組系幹部を自称していて、入れ墨をみせるなどして、夫婦を脅した。また、保護者は、学校の対応に問題があるとして、教育長を批判している。まず、一ノ瀬容疑者の子供がいじめられていたとは考えにくい。気に食わないことがあっただけで、入れ墨を見せて、土下座まで強要するのは、チンピラを絵に描いた振る舞いである。自称、山口組系幹部という輩があまりにも多いのが実情である。いかに、山口組が、暴力団の中で圧倒的多数を占め、山口組の菱の代紋を見せびらかし、一般市民を困らせる典型的なケースではないだろうか。一時期、「モンスターペアレント」という言葉が流行したが、この事件まで酷くはないが、教師に対して、クレームや言いがかりをつける、暴力団員が少なからず存在したはずだ。ただでさえ、教師は、心理的ストレスを抱えているのに、このような保護者に遭遇してしまったら、ノイローゼ状態になることは目に見えている。今回の事件では、保護者たちが、学校側の対応の問題があったとして、教育長まで批判している。何故、教育長まで批判しなければならないのか。非難するべきなのは、暴力団員であることをひけらかして、学校現場をかき乱す、一ノ瀬容疑者の行動である。学校側の問題があるとすれば、クレームをつける人間が、暴力団員であったために弱腰であったことだ。担任をサポートする、マニュアルのようなものが確立していたら、回避できたような気がしてならない。たとえ、暴力団員であっても、毅然とした態度で、向き合えば、事態はうまく収まるはずである。山口組の名前を出して、相手に恐怖を与え、自分の意のままにするのは、絶対許せない。「任侠道」も地に堕ちたものだ。

 

 

小室圭さん NYの司法司法試験に不合格 「トンデモ親子」を擁護することが正義なのか

小室圭さんが、7日に受験した、米ニューヨーク州の司法試験に不合格になったことが分かった。試験結果は、現地時間の29日同州の司法試験委員会のホームページで発表された。合格者のリストに小室圭さんの名前はなかった。同委員会によると、受験者9227人のうち63%の5791人が合格した。小室圭さんは、来年2月に再チャレンジするらしい。眞子さまは、「小室さん話をすると、その通りに受けています。」と話し、「小室圭さんを支えていきたい」と語った。おそらく、「夫を支える、純真な眞子さま」とういう、美談にすり換えて、メディアは報道するだろう。おそらく、いずれは、試験は合格する仕組みになっていると思う。目に余るのは、小室圭さんが不合格であったことを、変な理屈を付けて、フォローする、人たちである。財務官僚で米ニューヨーク州の弁護士資格を持つ、山口真由は、「米大統領のカマラ・ハリスさんもカリフォルニア州の弁護士試験を1回落ちている」とフォローした。また、米山隆一も、「私なんて選挙で4回落ちている」と言い出す始末。米山隆一の選挙と、小室圭さんの司法試験の不合格といったい、何の関係があるのだろうか。結婚記者会見でも、メディアは、こぞって評価した。あの会見が、誠実なものと感じる人は、よほど人間を見る目がないとしか言いようがない。腹黒い小室圭さんの嘘を見抜けないぐらいに、日本人は、民度が著しく低下した。「誹謗中傷」によって、「複雑性PTSD」を発症したなどと、誰が考えてもおかしい理屈を何故鵜呑みににしてしまうのか。レイプや暴行あるいは、幼少期において、親からの肉体的、心理的暴力を受けて苦しんでいる人たちに対して、失礼極まりない話だ。記者会見で、小室圭さんの母親の小室佳代さんの、反社会的勢力との関係、金銭トラブル、遺族年金不正受給疑惑については、全く説明責任すら果たされず、祝福ムード。これほど、国民を馬鹿にしたものはない。「他人を誹謗中傷することは許されない」という間違った、人権意識を掲げ、この結婚を批判する人の言葉を封殺することこそ、人権侵害、言論の自由を剝奪する行為以外の何物でもない。小室圭さん小室佳代さん親子をみていると、「この親にしてこの子あり」と思えて仕方がない。良識な知識人は、皇室を擁護するより、「天皇制」そのものを廃止するぐらいの過激な見解を展開するべきだ。

池袋通り魔殺人事件 造田博被告の悲しすぎる人生

1999年9月8日東急ハンズ池袋店前で、造田博被告が、「むかついた、ぶっ殺す」と叫ぶびながら、包丁と玄能で通行人を無差別に襲い、2人を殺害し、6人に重軽傷を負わせた。この池袋通り魔殺人事件は、社会に大きな震撼を与え、被告の造田博の私生活が、週刊誌やテレビで詳細に報道された。造田博の両親は、ギャンブルにおぼれ、借金を残して失踪する。造田博は、まじめで、努力家で、県下の進学校に合格するが、中退して、アルバイトを転々とする。どの仕事も長続きせずに、犯行当時は、新聞販売店で働いていた。「わし以外のまともな人が、ボケナス殺しとるけのお。わしもボケナスのアホを全部殺すけんのお。アホ今すぐ永遠じごくじゃけえの」というメモを残していたことから、多くの精神医学者や心理学者によって解釈がなされた。うまくいかない自分自身の人生を恨み、呪い、社会に憎悪を募らせていった、身勝手極まりない犯行であるとういうものである。確かに、造田博だけでなく、世の中には、もっと不幸な人がいる。しかし、造田博の人生を考えた時、身勝手極まりない犯行では、言い表せない、何かを感じてならない。造田博は、どん底の生活の中でも、アメリカに渡航して、教会の仕事を手伝うなど、必死になって、人生を切り開こうとしていた。小学校時代の同級生の女の子に好意を寄せて、彼女の実家を訪ねるが、その家族から冷たい態度を取られている。造田博が、恋愛妄想に取りつかれていたというが、事実を歪曲したものとしか思えない。一方的に、思いを寄せていたけれど、彼女との交際を実現できなかったという挫折が、この池袋通り魔事件の根底にあるのではないだろうか。東京拘置所で、造田博と30通近くの手紙をやり取りし、「池袋通り魔との往復書簡」という本を書いた、青沼陽一郎という作家がいる。青沼氏は、造田博を、徹底的に批判し、救いようがないと断罪している。思うに、造田博は、青沼氏に心を開かずに、偽りの姿だけを晒し続けたのではないだろうか。何の罪もない人を無差別に殺傷した、行為は絶対許されるものではない。しかし、造田博が背負わされた人生は、あまりにも大きく、本人にとっては、耐え難い苦しみではなかったかと思えてならない。

ひき逃げで逮捕された社長 手越祐也、中田翔らと交際を自慢 その許されざる人間性

2020年9月6日に猪苗代湖で遊んでいた、豊田瑛大君が、大型プレジャーボートに巻き込まれ死亡した。逮捕されたのは、土木会社社長の佐藤剛容疑者である。佐藤剛の私生活は、田舎の土木会社の社長とは思えない豪華なものだ。知人によると、「佐藤は、東京の勝どきにあるタワマンの最上階に住んでいて、事故の翌週も、銀座の高級クラブへ通っていた。週3回から4回で、一晩で50万使い、お気に入りのキャバ嬢がいて、事故当日もボートに同乗させていた」地元の知人は、「2,3年前には、ジャニーズに所属していた手越祐也とゴルフで、千葉の名門コース東京クラシッククラブを回っていた。また、野球も好きで中田翔から、ゲストパスをもらい日ハムのキャンプを訪問していた」など、有名人との交際をステータスとしていたようである。佐藤剛容疑者は、「佐藤剛建」の代表取締役として全国から受注していた。東日本大震災で売り上げを伸ばし、現在の地位を築いたと言われている。ミャンマー支店があるが、20人の技能実習生が、全員辞めたほど、佐藤剛容疑者の社員への処遇は酷いものだった。社員が自殺した時は、笑っていたそうである。こうして成り上がり、あぶく銭を手にした、輩が、芸能人や野球選手と交際することが珍しいことではない。「タニマチ」とういう言葉がある。元々は、相撲界の隠語であるが、芸能界でも使われ、お金を与えたり、色々面倒を見てもらういかがわしい人間がいた。こうした慣習は、現在でも残っているのではないだろうか。それが、暴力団であったり、今回の事件の佐藤剛容疑者のような輩であることが多い。芸能人は、サラリーマンや公務員でないから、公序良俗を重んじる正しい市民である必要はないが、交際しても許される人間の見極めが大切に思えてならない。佐藤剛容疑者は、事故から、3日後に、友人に「大丈夫や、弁護士を雇ったから捕まらん」と電話している。人を殺しても、弁護士を雇えば、罪が軽減されると考えているのだろう。こんな鬼畜に殺された、8歳の少年は、浮かばれることがない。

警視庁高井戸署 中学生に「否認すれば牢屋」と恫喝 萩原流行の死亡事故でも隠蔽

2015年12月に万引き事件の捜査で、当時中学生の少年2人に対して、「認めないと逮捕するぞ」「高校行けなくしてやる」「鑑別所でも少年院でもぶちこむしかない」などの恫喝的な取り調べをした。万引きを疑いをかけられた少年が、クラスメート2人から万引きを強要されたと発言し、任意で事情聴取をした、そのうちの1人の少年の親が、ICレコーダーを持たせ、録音させたために発覚した。この事件については、ICレコーダーを待たせるような親を非難するネット上の声があるが、大間違いであると思う。任意の取り調べにもかかわらず、警察署で事情聴取することが、当たり前になっている。法律的には、断れるが、実際は、強制的に取り調べられるのが実情だ。この取り調べの様子は、動画でも視聴できるが、日本全国の警察署で、こうした、恫喝まがいの取り調べがなされているだろう。万引きの疑いをかけられた少年も含めて、取り調べをするべきではなかったのか。最初から、2人の少年が絶対に万引きを強要させたという確信を抱いて、取り調べていることは、極めて危険だ。自白させれば、犯人を逮捕したという、単細胞な警察官がいる限り、誤認逮捕、冤罪は絶対根絶しないだろう。高井戸署では同じ時期に、とんでもない不祥事を起こしている。俳優の荻原流行さんが、死亡した事故で、高井戸署の男性警部が、車線変更時に、萩原流行さんのバイクを見ていたものの、「譲ってくれるだろう」と思ったと供述。護送車は、減速し、ウインカーを出して車線を変更したが、萩原さんは転倒し、隣の車線に投げ出され、後続の乗用車にひかれた。この男性警部補は、自動車運転処罰法違反の容疑で書類された。その後の裁判では、罰金70万円の略式命令という軽い処罰しかなされていない。中学生に、やくざまがいの恫喝で取り調べるような警察官の氏名は、公表されるべきなのに、されないのが、ケイサツ一家の体質だ。萩原流行さんの事故も、あまりメディアでは取り上げられなかった印象がある。加害者が警察官であったからだと思う。メディアが、警察の御用聞きに成り下がり、今後ますます、警察の無法が許されるだろう。

芸人ぜんじろう 維新の会吉村洋文大阪府知事を挑発 さすが上岡龍太郎の弟子

ぜんじろうが、26日大阪府吹田市で、衆院戦大阪7区に、立憲民主党から立候補した乃木涼介氏と街頭演説を開催し、日本維新の吉村洋文副代表を痛烈に皮肉った。NHK連続小説に出演するなど、俳優として活躍した乃木氏は、前回の総選挙で民進党公認で出馬予定だったが、公示直前に党が消滅して、縁もゆかりもない神奈川15区に急遽、くらがえしたが、自民党河野太郎に敗れた。ぜんじろうは、乃木氏とは、10年来の友人であるそうだ。乃木氏からマイクを受け取った、ぜんじろうは、「芸人が、政治家に肩入れをするのは、違うと思うが、あまりにも与党がふがいない、もっと野党が強くなって、ツッコミを入れないとと主張。そして、「自民がダメなら、維新に行こうとしている方、いいですか、維新は自民の3軍ですよ」吉村洋文副代表については、「コロナ対策は、バラエティー番組に出ること。それを吉本芸人が、ヨイショする、どっちも頭がおかしい状態。吉村知事の本業は、タレントです。橋下徹さんから、やしきたかじんを紹介してもらった。知事を辞めたら、吉本興業入りする。芸名はもう決まっているんです。やしきいそじんで、番組は、そこまでウソ言って委員会です」と痛烈に批判した。おそらく、ぜんじろうは、ネット上で悪し様に罵られるだろう。それを敢えて、承知の上で、維新を批判した勇気と度胸は、素晴らしい。吉本興業と維新の会に忖度する関西のテレビ局は、常軌を逸している。橋下徹が、在阪局のテレビにゲスト出演すると、過剰なまでの気配りをし、顔色を窺っているのが視聴者には、あからさまに分かる程である。吉本芸人が、吉村洋文知事を無条件に評価するのも、慣習化されている。維新の会は、大阪においては、絶対的な権力になっていて、府民は、その異常に気づいていない。ぜんじろを知らない人が大半であるが、一時期売れっ子になって、お笑い通であれば必ず知っていると思う。第10回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、第24回上方漫才新人奨励賞などを総なめにした、実力派のタレントである。一時期は、東京にまで進出し、「超天才、たけしの元気がでるテレビ」にまで出演したが、2000年頃から、人気が低迷した。今では、存在すら忘れ去られた芸人である。吉本芸人と関西のテレビ局が維新の犬になった状況で、物を申すという姿勢は、さすが、上岡龍太郎の弟子だ。今後、ぜんじろうが、芸能界で再ブレイクすることを望むばかりである。

創価学会池田大作会長は生きているのか? 「月刊ペン事件」の判決から学ぶべきこと

創価学会池田大作が公の舞台から姿を消して久しい。93歳とういう高齢であるが、その近況など全く伝わってこないのが、創価学会特有のカルト性を感じてならない。創価学会信者が、827万世帯と言われているが、実際はどのくらいの数なのだろうか。選挙の時期になると、あまり親しくない、知り合いが、選挙の応援で、家に来ることがある。それほど、創価学会員は、鉄の結束によって結ばれているのだと、呆れるとともに怖さを感じてしまう。数の力が凄いことは、直接的な権力に結びつき、創価学会を批判する者には、容赦ない反撃に出てしまうことがある。芸能界を見渡しても、「創価学会員」が、かなり存在して、隠然とした権力を持っている。かつて、「月刊ペン事件」とういう、名誉棄損事件があった。1976年に、「月刊ペン」が3月、4月号で、「四重五重の大罪を犯す創価学会」といったタイトルを組み、大々的に創価学会を批判し始めた。主に、池田大作の女性関係をめぐるスキャンダルを報道した。警視庁は、悪質な事案と判断して、隈部大蔵を逮捕、起訴した。一審の東京地裁は、記事の内容が、私人の私生活に言及したもので、隈部大蔵を有罪とした。そして、昭和56年最高裁は、「私人の私生活上の行状であっても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的な活動に対する批判ないし評価の資料として、刑法230条の2第1項にいう、公共の利害に関する事案に当たる場合があると解する」として、東京地裁に差し戻した。しかし、昭和58年隈部大蔵は、罰金20万円の有罪判決を受けた。池田大作の女好きは、有名な話で、根拠のない、デマではないことは確かにもかかわらず、裁判所は、創価学会に与したことは、許されるものではない。しかも、最高裁が、池田大作の私生活を公共の利害に当たる事案と認めているのに、下級審では、隈部大蔵が敗訴した。この裁判については、「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友著、第三書館という本に詳細が書かれている。いずれにしても、「創価学会」は、依然として権力を掌握していることは間違いないだろう。