孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

杉田水脈の「LGBTは生産性がない」発言を受けて 新潮社の新刊本を一時的に販売を取りやめた似非左翼の本屋 本当の左翼が不在にこういう手合いが出てくる

2018年に自民党杉田水脈が、「LGBTは、生産性がない」などと月刊誌「新潮45」で主張した。この件を受けて、和歌山にある本屋が、新潮社の新刊本の販売を当面取りやめる方針を取ったことが、一部の人で話題になった。新潮社は、杉田水脈の寄稿に批判を寄せられたことに対して、「そんなにおかしいか杉田水脈」とする記事を集めた企画を掲載した。その中で、文芸評論家の小川栄太郎は、「LGBTも、私のような伝統的保守主義から言わせれば、充分ふざけた概念」などと主張した。この本屋の店主らは、「言葉の暴力が、一線を越えている。書店の立場から、抗議の意思を示したいと。当面の間は、新潮社の本を販売停止にすることを決め、書棚の本を撤去した」と主張した。それが、朝日新聞に取り上げられて、「左翼の本屋」と認識されているようだ。しかし、この本屋、やっていることは、姑息で卑怯で、「本当の左翼」に対して失礼である。常にtwitterで政治的なことからサブカル的なことまで情報発信している。しかし、その内容をよくよく読んでみると、本当の巨悪を批判していないことが分かる。まず、和歌山県から出馬している、自民党衆議院議員を批判や、和歌山県警の不祥事に関しては、全くノータッチであるということだ。この本屋は、本の買い取りもして、店内では、コーヒーなどのドリンクも提供する。時々、音楽イベントなども開催するなどの最新型の古本屋である。古本屋ということは、警察から古物商の許可を得なければならない。おそらく、そうした事情から、地元の警察を批判することに腰が引けているのではないだろうか。杉田水脈の発言など、馬鹿馬鹿しくて問題にする必要はない。最近の風潮として、性的マイノリティやジェンダー平等などの問題をいたずらに煽り立てて、「人権が侵害された」という左翼もどきが多い気がしてならない。本来の左翼は、普通に働いても、貧困で喘いでいる人たちを救済するべきではないのか。個性を認めることも大事であるが、左翼の本来のあるべき姿は、反権力を貫き通すことにある。そうした意味で、本当の左翼が不在になった。この本屋のような、安全な地点から「もっともらしい正義」を主張するような手合いほど、質の悪いものはないと思う。