孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

敗北だけの人生であっても 輩やゴロツキに負けないという矜持と闘争心を持ち続けられることが出来れば 何時かは勝てる時が来ると思う

私の人生は、何をやってもうまくいかない。その原因は、自分にもあるだろうが、やはり度重なる不運によって押しつぶされてきた気がしてならない。過去を振り返っても、「本当についていないなあ」と感じさせることが、あまりにも多いからだ。うまくいきかけて、予期せぬ「アクシデント」に見舞われて、潰されてしまう。こういう書き方をすれば、統合失調症の被害妄想に過ぎないと言う反論があるかもしれないが、それは全く違う。世の中は、大まかに運の強い人間と弱い人間に区別されると思う。運の強い人間は、さほど努力をしなくても、向こうから幸運がやって来る。それに引き換え、運の悪い人間は、何をやってもうまくいかない。世の中とは、不条理で残酷なもので、薄汚い「輩」や「ゴロツキ」が何の罪咎を受ける事無く、のうのうと生きていける仕組みになっている。「天網恢恢疎にして漏らさず」という格言は、全くの嘘である。最近の社会では、「輩」や「ゴロツキ」があまりにも増加した。昔もそうした手合いが存在したが、あまり目立つことはなかった。原因として考えられるのは、日本人の「モラル」「道徳的意識」の低下である。私は、「道徳」を学校教育の現場で教えさせようとする、「保守派」は大嫌いだ。「保守派」が掲げる「道徳教育」なるものは、天皇イデオロギーが根底にあり、政治利用しようとする魂胆が丸見えだからだ。それよりも、直ぐに実践できる「他者へのさりげない心くばり」のようなものが必要に思えてならない。話が横道に逸れたが、「輩」や「ゴロツキ」が得をして、大きな顔をしているのであれば、不遇をかこち、敗北してしまった人間はどうすれば良いのだろうか。私見として、「輩」や「ゴロツキ」にいつかは、勝ってやるという闘争心を燃やし続けることだと思う。大袈裟な言い方をすれば、「輩」や「ゴロツキ」にどれだけ、殴られ、蹴られても、立ち上がっていく、「狂気」ともいえる度胸があれば、相手は、たじろいでしまうのではないだろうか。私自身に必要なのは、その度胸なのだと確信しているが、一朝一夕に身に着かないものでありであり、暗中模索している限りだ。