孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「幸福の科学」大川隆法総裁死ぬ 人の「前世」まで分かる偉大な宗教家が「自分の死」を分からなかったのだろうか? 所詮「カルト」集団に過ぎない

幸福の科学」の大川隆法総裁が自宅で急死した。大川隆法は、非常にカリスマ的な宗教者として信者に尊敬されていた。学業優秀で、超エリートであったが、宗教家の道を選択したのは、父親の影響が大きかったという。これほどまで大きい宗教集団に発展させただけに、大川隆法は、手腕があったのだろう。しかし、「幸福の科学」が主張していることは、常軌を逸しっていて、誰の目にも「カルト集団」にしか映らないだろう。「幸福の科学」の雑誌を広告として、掲載しているのが「産経新聞」である。産経新聞は、一体どういうつもりかなり大きく「幸福の科学」の広告を掲載しているのか、メディアとしての信頼性を疑わざるを得ない。かつて、影山民夫という作家が、「幸福の科学」の熱心な信者であったが、若くして、不慮の事故で死亡した。影山民夫は、非常に才能のある作家で、センスも良く才能があった。「探偵ナイトスクープ」にも度々出演して、「気の利いたコメント」をして、私は、「作家なのに、タレント性のある人だなぁ」と感心した記憶がある。「幸福の科学」に入信していたにもかかわらず、晩年の死を考えると、影山民夫にとっての「宗教心」とは何だったのかと思えてならない。前途洋々でまだまだ活躍するはずであった才能の持ち主が、不幸な死を遂げてしまう。「幸福の科学」に入信したことが、彼の死を早めたことは間違いないだろう。「幸福の科学」では、有名人の「前世」が誰であると霊視できるようだ。私も「スピリチュアル」なことに関心があって、「前世」はあると考えている。しかし、「幸福の科学」のように、歴史上の人物を引っ張り出してきて、「誰それは、坂本竜馬である」というのは、いかにも眉唾ものである。「前世」というものあるとしたら、もっと身近な人間関係の中にあると、私は考えている。私たちの人との出会いは、必然的なもので、「前世」から決まっている。親を選ぶことが出来ない。結婚する相手も「前世」の因縁によるものである。私は、そういうふうに「前世」を捉えている。私自身かなり、「宗教」「スピリチュアル」に関心があるが、特定の宗教には絶対に入信しないだろう。それにしても、大川隆法は、自分の「死期」を分からなかったのだろうか。仮に、分かっていれば、遺産相続の問題や、自ら亡き後の「幸福の科学」の在り方を遺言として絶対に残しているはずだと思う。所詮。「幸福の科学」は、「統一教会」「創価学会」「親鸞会」などと同じカルトでしかないと私は思う。