孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

朝晩「仏壇」の前で、線香を立てて拝む私 幸せになれないことが分かっていても この習慣が辞められない 線香を頻繁に買うので店員は「ドン引き」前世はお坊さんだったのか?

私は、毎朝仏壇の前で、線香を立てて、拝む習慣がある。ある特定の宗教に入信している訳ではない。しかし、私は、以前からブログで書いてきたように、「占い」や「霊能者」遍歴を繰り返してきた。その原因は、「自分の力が及ばない不可効力のもの」によって人生が支配されていると確信しているからだ。私自身、「人生が上手く行きかけた」と思うと、「予期せぬアクシデント」に見舞われて、悲運に見舞われてきた。「占い師」や「霊能者」にもあまり良いアドバイスをしてもらうどころか、悪い事を言われて、ますます精神的に追い詰められている状態である。だからと言って、仏壇の前で線香を立てて、拝む訳ではない。何故かしら、そうすることによって、心が落ち着くからである。「仏壇の前」では、決して「願い事をするな」という言い伝えがある。だが、私は、別に「願い事」をしても良いと考えている。私の場合は、「願い事をしたいが」、「幸せになれない予感」がするのであまりしない。ただ、「これ以上、災厄に見舞われない」で欲しいという気持ちで、拝む。線香にも種類があるが、「きつい匂い」をするのは良くない。私がお気に入りの線香は、「ほぼ無臭」である。その「線香」を燃やすので、直ぐに在庫が無くなる。そのため、頻繁にスーパーで線香を買う。仏具店で買えば良いのだが、値段が高く、近くに仏具店がない。スーパーの店員は、「線香」を買う41歳の私に「ドン引き」だと思う。いや、私のことを「お坊さん」と思って、何も不審に感じていないかもしれない。「自意識過剰」なのは、私の悪い癖である。線香を燃やすと、「精神を安定する物質」が放出されると科学的にも証明されている。そのためか、おのずと仏壇の前で、拝むと精神的にリラックスが出来る。私は、もう二度と「占い師」や「霊能者」に鑑定してもらわないと決心した。おそらく、私の運命は、あまりにも過酷のものであることは間違いないだろう。その運命を受け入れるしかない。朝晩「仏壇」の前で、線香を立てて拝む私の前世は、お坊さんであったのだろう。