孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

織田無道、宜保愛子90年代に活躍した霊能者たちの悲しい末路 私の人生の未来について「最悪の事」を言った霊能者も最後は自ら不幸になってもらいたいと思う

90年代に、織田無道宜保愛子という霊能者がテレビで大活躍した。しかし、「オウム真理教」の事件があって、テレビ局は、そうした「心霊現象」や「霊能者」という存在をタブー視するようになった。織田無道は、逮捕されて、がんで死んだ。宜保愛子の方も晩年は、テレビに出演しなくなり、世間から忘れられて、ひっそりと死んだ。織田無道は、まったく「霊感」がない。宜保愛子も胡散臭いが、少しは、「霊感」があったのではないだろうか。目が不自由ということが、どうも私の中で引っかかる。「霊能者」といった人たちは、どこか体に不自由な所がある場合が非常に多い。おそらく、障害を抱えた部分を補おうとして、「恐ろしいほど感」が働くのではないだろうか。私は、「スピリチュアル」や「霊感」に関心がある。私は、予期せぬアクシデントが度重なって、不幸のどん底にある。私は、その原因は、何か「自分の力ではどうすることもできない、目に見えない霊的なもの」に支配されていると確信した。そのため、評判の高い何人かに「私の人生の行く末」を鑑定してもらった。そうすると、すべての霊能者から悪い事を言われた。いや、直接に言わなくても、その言質から「私の人生は不幸な運命に定められている」と分ってしまった。それ以降、私は、精神状態がさらに悪化している。それでも、何とか自分を振るい立たせて生きている。おそらく、「スピリチュアル」や「霊感」などに関心を持たない人は、私の事を笑うだろう。他人が言った言葉に左右されて。「自分の人生は、自分で切り開いていく、何を甘ったれたことを」と非難轟轟だと思う。しかし、そういう人たちは、地獄を見たことがないと、私は反論したい。人間は、「どれだけ努力しても、上手く行かない」「本当に人間的に申し分のない人なのに、何故不幸ばかりになるのか」というケースを私は知り尽くしているからだ。私の人生は、やはり霊能者たちが言った通りかもしれない。しかし、私は、0,0001%の確率を信じて生きている。普通、良心的な「霊能者」ならば、たとえ「不幸な定めに生まれていても」、「わずかな運命改善策」を一緒に考えるものである。そう意味で、私に「最悪の事」しか言わなかった霊能者の悪意は許せないものだ。霊能者の末路は、案外と不幸な場合が多い。「他人の人生は透視できるが、自分の人生はできない」点。そして、「他人の人生を左右することを何も考えずに、軽く話したことに対する罰のようなもの」がその霊能者自身に振り返って来る点。この2点が考え得る。私を地獄に突き落とした「霊能者」も最後は自ら不幸なることを願うばかりだ。