孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「どんなに才能があっても人生で勝てない事もある」 人間の「運不運」を決めるのは やはり「スピリチュアル」や「前世の因縁」「先祖の因縁」が大きいと思う

私は、「スピリチュアル」や「占い」に関心がある。私の祖母が、民間宗教に凝っていた血筋を引いているのだろう。祖母が、帰依していたのは、創価学会などの大きい宗教ではない。「拝み屋さん」「霊能者」と呼ばれる人である。その方は、「霊感」があるということで、祖母以外の何人かの信者がいたようだ。晩年の祖母は、その方たちと縁を切った。しかし、その祖母の信仰が、私の「人生」に大きく影響を与えたことは間違いないだろう。私の名前は、その「拝み屋さん」が付けた。私の上の「姓」は、日本では数少ない「稀少な姓」である。下の名前も、変わっていて、普通の「大輔」や「祐介」という平凡な名前ではない。もちろん、「姓名判断」で調べると、「悪い運勢」になっている。要は、名前「全体のバランス」が悪いこと。発音した時に、どうも「他人に覚えてもらいにくい」こと。例えば、良い「名前」というのは、芸能人で言えば、草野仁。非常に「姓」と「下の名前」のバランスが良いうえに、発音すると「語感が良く」他人に覚えてもらいやすい。「四柱推命」という「生まれた年月と時間」から五行のバランスを調べるものがある。私の「生年月日」を計算すると非常に悪い「運勢」が算出される。「四柱推命」は、統計学であって、必ずしも、「その人の運命」を決定づけるものではない。しかし、「占い師」や「霊能者」は、「四柱推命」を基にその人の「運勢」を判断することが多い。私は、何人かの「占い師」や「霊能者」に占ってもらったが、全員に最悪な事を言われた。やはり、私の人生を振り返った時に、「人生の思わぬアクシデント」に遭遇して、押しつぶされてきたと痛感するからだ。私の弟などは、何の苦労もせずに、「一人前の大人」になったような顔をしている。「占い」や「スピリチュアル」」に関心を持たない人がこの世の中の大半だろう。しかし、人間というものは、「あまりも不幸な出来事」に遭遇すれば、「宗教」にすがるものである。「統一教会」を信仰した山上徹也の母は、「障害のある子供」を持ったことが苦悩であった。私は、「霊能者」に「死刑宣告」をされた絶望的な気持ちで日々を送っている。「勝負」に勝つという願望を捨て去れない。このまま「堕ちていく人生」を従容と受け入れずに、「命ぎりぎり」一縷の望みに賭けてみようと考えている。