孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

宜保愛子は「本当の霊能者」だったのか? 完全な「偽物」ではなく 多少は「霊感」があった ただ「最後」は不幸な末路 霊能者は「自分」の事は分からないものだ!

 宜保愛子という「霊能者」が1990年代にテレビで大活躍した。大槻義彦との「論争」が面白く、視聴者の心を鷲掴みにした。宜保愛子の番組を制作していたスタッフは、「やらせ」はなかったと証言している。ただ、それに対しての反論もある。宜保愛子は、「右耳」が聞こえないが、「霊の言葉」を聞く事ができたという。また、右耳もほとんど見えなかった。そして、兄弟を戦争や交通事故で亡くしたり、「私生活」は不幸であった。こういう条件を具備した「霊能者」は、非常に多い。特に、体の一部が、「不自由」であることは、「霊性」を開眼する最大のきっかけになる。私は、このブログで何度も祖母の影響を受けて「スピリチュアル」なことに関心がある事を書いてきた。私は、「人生はあらかじめ定まっている」と言う宿命論者だ。私自身、「自分の力が及ばない不可抗力な出来事」に遭遇して、身動き出来ない状態に追い込まれてきた。そのためか、「救い」を「霊能者」「占い師」「拝み屋」に求めた。しかし、すべての霊能者から悪い事を言われた。1年半前に出会った「霊能者」が最悪で、宜保愛子と相通じる部分があった。その「霊能者」は、70歳ぐらいのおばさんで、「由緒ある神社」の娘である。そのおばさんの父親も「霊感」があったという。まさに、「本物の霊能者」である。そのおばさんは、私の「苦悩」を真摯に聞こうとせずに、悪い事ばかりを並べたてた。そのことによって、私は、さらに「地獄」に落とされた。私の「運命」は過酷であることは、自分自身が一番分かっていることだ。「人間の人生が99,9%決まっている」としても「1%の運命改善策」を相談者にアドバイスするのが、霊能者の本来の仕事であるはずだと私は考えている。そのおばさんは、「足が不自由」であった。旦那が、神主をしていて、家を建てたりするときに、「家相」などをアドバイスするのだろう。宜保愛子の晩年が、不幸であったように、私を「奈落の底に突き落とした霊能者」は、碌な死に方をしないだろう。