孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

丹波哲郎 死後の世界 大霊界 すべて「インチキ臭い」 しかし「存在感」が凄いうえに 人柄の良さとやさしさが滲み出ている イマドキの俳優にこんな器の人はいない

2時間ドラマで丹波哲郎が出演しているのを見て、凄い俳優さんであると再認識させられた。丹波哲郎と言えば、「スピリチャルなこと」「霊的なこと」に異常なまでに関心を持って、著作も多い。映画まで撮っている。「砂の小舟」という丹波哲郎の映画の中では最もマイナーな映画がある。この映画の監督は原田雄一という監督である。原田雄一監督は必殺シリーズを数多く撮っている。意味不明な映画で、誰もが嫌がったが、丹波哲郎に気に入られている原田雄一監督がメガホンを取ったのだろう。丹波哲郎の本を読んだ。全くデタラメな内容である。様々な文献から引用した噂もあるぐらいだ。私自身も「スピリチャル」「霊的」なことに関心を持っている。祖母の影響からで、宗教というものはある意味人生を破滅させてしまうほど危険なものである。私の「フルネーム」は変わっている。上の苗字も日本は数少ない稀少姓である。そして下の名前も珍しい男の子の名前である。私の弟は普通の名前である。私の名前は祖母が私淑していた「霊能者」に付けてもらった。その霊能者は霊感があったのだろう。しかし、私の人生は最悪である。一体どういうつもりでこの霊能者は私の名前を付けたのかと聞きたいぐらいだ。祖母が私淑していた霊能者は幸せになっていないと風の噂に聞いた。となると、私に「悪いことばかり言った神社の霊能者」の末路も決して幸せなものではないだろう。宜保愛子が晩年孤独に死んでいったように。霊能者は、他人の人生を透視できる才能がある。しかし「自分の人生」を全く予知できないのではないだろうか。丹波哲郎が「スピリチャル」なことに関心を持ったきっかけは何だったのだか分からないが、並々ならないまで「スピリチャル」なことにはまっていたことは確かである。丹波哲郎自体どこか「霊的な雰囲気」がある。デビュー当時の丹波哲郎は痩せていて、繊細であった。また、由緒ある家柄の子息で、周囲は東京大学に進学したが、自分は敢えて中央大学法学部に進学したと豪語している。丹波哲郎の「スピリチャル」の主張は胡散臭い。しかし「存在感」そして「人柄の良さとやさしさ」が滲み出た丹波哲郎のような俳優さんはもう出てこないだろう。