孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

人は「霊能者」や「占い師」でなくとも ほんのわずかであっても「自分の人生がどうなるか」を予知していることもあると思う

私は、スピリチュアルな事に異常なまでに関心がある。しかし、ある特定の宗教、「創価学会」を中心に、「幸福の科学」、「統一教会」、「エホバの証人」などは、大変嫌いだ。それよりも霊能者や占い師という人たちに自分の人生を占ってもらい、全て悪い事を言われたことは、もう何度もブログで書いてきた。私が、スピリチュアルな事に関心を持つようになったのは私の祖母の影響である。私の祖母は、「民間宗教」を信仰して、生活のすべてを賭けていたからだ。祖母は、霊感のある女性にまるで帰依して、その人の言うことをすべて信用していた。私の名前を付けたのもその女性である。祖母以外にも、その女性に帰依する人が何人かいたようである。こうした霊感のある女性を中心に、信者とまでいかないが、帰依する人が数人集まるような「民間宗教」は、日本にかなり存在するに違いない。私の名前を付けた、祖母が帰依していた女性は、本当に「100%」の確率で人間の人生を「霊視」する能力があったのか、私は、今疑問に感じている。何故ならば、私の名前を付けたのは、その女性の霊的な「インスピレーション」である。そして、私は、人生が上手くいかないどころか「どん底」で喘いでいる。普通の人間であれば、気が狂うか、自殺するような過酷な状況で生きている。私の名前は、ものすごく、変わっている。苗字自体が、日本ではあまりない「姓」である。そのうえ、下の名前が、変わっていて、普通の男の子の名前ではない。姓名判断だけで、見れば、明らかに「悪い運勢」にあることは間違いないだろう。また、生まれた日と時間などから算出する「四柱推命」なるものがある。「四柱推命」でも私の運命は悪い。おそらく、何もかもが、悪い定めの人生を与えられたのであろう。もし、祖母が帰依していた女性が、真の霊能者で、人を救う良心を持っていたらならば、私が生まれた時にこのような名前をつけなかっただろう。霊能者といえども、100%正しい予知能力を有しているとは限らない良い例である。無念の裡に死んでいった人が、まるで「自分の死」を予知するがごとく、生前整理をしていたという話を良く耳にする。後付けの解釈ではなくて、私は、やはり自己意識が及ばない「霊的な次元」で、「自分が死ぬこと」をその人は予知していたのではないだろうか。私自身、「霊能者」や「占い師」から悪い事のみ言われた「トラウマ」から立ちなれずに絶望的に追い詰められて、日々暮らしている。何とか、この苦しみから抜け出そうとしているが、その桎梏からは容易に逃れられない。