孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

安岡正篤  人の道を説いて 政財界の「黒幕的」存在  しかし細木数子を愛人に この矛盾は一体何なのだろうか?

安岡正篤という人物がかつて存在した。今でも、書籍が売れ続けているようだ。安岡正篤は、主に「人はどのようにして生きて行けばよいか」などの人生訓を説いた。いまだにそうした安岡正篤のような人物が書いた書籍が需要がある。特に致知出版社という会社は、そうした類の「啓蒙書」を販売している。特に売れているのは森信三という教師が書いた本だ。森信三を崇拝する人は、保守的な人間である。中小企業の社長などに非常に人気がある。こうした人たちは、一見して「きれいごと」を主張するが、実際にやっていることはえげつない。かつて、佐高信という評論家が、そうした人の行為を「禊ぎ」と強烈に批判した。つまり、「自分たちが、ビジネスにおいて汚い事をしていることに対して後ろめたい気持ちを持っている。それを払拭するために、致知出版社の本を読む」と。佐高信氏が指摘した通りだと私も思う。森信三の崇拝者である寺田清一という人物がいた。大阪の岸和田で「呉服商」を営んで、少しは小金を持っていたのだろう。この寺田清一は、自らの著作の中でニートやひきこもりを「国賊」と罵倒しているのだ。つまり、「働かない者あるいは働けない者は、人間ではない」と寺田清一は罵っているのである。森信三自体が、「差別主義者」であった。戦時中に、京都の盲学校で、「目の見えない子供たちに、あなた方は、戦争に行けない、国の厄介もので、お荷物でしかない」という趣旨の発言をしている。これが、森信三の裏の顔である。安岡正篤が、戦後の「政財界」において政治家たちの指南役を務めた。安岡正篤の「知性」と「教養」が、時の「総理大臣」を虜にしたのだろう。安岡正篤は、「易教」を専門とした。「易教」は、占いみたいなもので、人の人生を予測する。そうしたことが、より一層に大物政治家たちから信頼を得たのだろう。大物政治家というのは、今も昔も懇意にする「占い師」、「霊能者」「拝み屋」を持っている。安岡正篤の「人生の汚点」は、細木数子を愛人にしたことだろう。「人の道を説く立派な人間」が細木数子のような胡散臭い女に引っかかったのは何とも情けない話である。「占い師」「霊能者」と言う人たちは、案外「自分の人生」を予測することができないものかもしれない。