孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

紅白歌合戦 出場歌手の選考を「在日特権」と糾弾するトンデモ極右の輩 そもそも芸能界は「在日朝鮮・韓国人」がのしあがって生きてくためにあった 

今年も「紅白歌合戦」の出場歌手が決まった。かつて、「紅白歌合戦」の出場歌手が、「在日」の歌手によって占められていた。それを「在日特権」などと糾弾する極右の輩がいるが、とんでもない言いがかりと差別と偏見以外の何物でもない。そもそも「紅白歌合戦」の出場歌手に全く「才能がない人間」などは、歯牙にもかけられない。やはり、才能のある歌手か、その年にヒットさせた歌手ばかりが選考されている。例えば、和田アキ子。私は、個人的に大嫌いであるが。やはり、「歌手としての才能」は抜きん出ている。和田アキ子が、「在日」であったから長年にわたって「紅白歌合戦」に出場し続けられた訳ではない。やはり、それだけの「実力」があっての事だ。和田アキ子は、「歌手」のみならず、「芸能人」としての「貫禄」がある。生き馬の目を抜くような「生存が厳しい芸能界」で、生き残ってきた和田アキ子は、「生まれついての芸能人」である。戦後、「在日朝鮮人・韓国人」は、非常に厳しい環境の中で生きざるを得なかった。「赤貧洗うがごとく」と言う言葉があるが、「普通の庶民」である日本人でさえ、「生きていくのが大変」であった。ましてや、「在日朝鮮人・韓国人」がどれほどの苦労を強いられたか。そうした貧困から抜け出したくて、「この社会で成功して見せる」と言う「精神力」は、日本人よりはるかに持っていたから何かを成し遂げた人が多いのであると私は考えている。最近の映画は、「在日」を「ラディカル」に描いた作品が全くない。井筒和幸監督が、「在日」にこだわって「映画」を撮り続けていることは非常に素晴らしいことだが。かつては、「在日」をテーマにした映画が数多く制作された。私が一番印象に残っている作品は、「やくざの墓場くちなしの花」という渡哲也主演の映画だ。監督は、深作欣二。渡鉄也は、「組織に反逆する刑事」で、在日朝鮮人のやくざと縁者の女と親密になる。そのやくざ役を梅宮辰夫、渡哲也と恋人関係になる女を梶芽衣子が演じている。「ラストシーン」で梶芽衣子が、「朝鮮帰れ、言われたんや、薬打つだけが、うちの楽しみやったんや」と自ら差別を受けてきた過去を絶叫する。そして、渡哲也と梶芽衣子は、深く「結ばれていく」のだが。「やくざの墓場くちなしの花」は、非常にアナーキーでインモラルな作品だ。自分の気に食わない人を「在日」「反日」と根拠もなく差別する極右は、この映画を見るべきだと私は思う。