安藤昇という元やくざで俳優がいた。1970年代の東映やくざ映画には欠かせない存在であった。最近、亡くなった石原慎太郎が、「あるヤクザの生涯」という本を出版して話題になった。それだけ業界人にも慕われていたのだろう。やくざと言っても、安藤昇は、刺青を入れた既成のやくざではない。戦後、渋谷で暴れ回った愚連隊である。まだこの頃は、山口組も稲川会も住吉会も大きな組織になっていなくて、ある意味自由な時代であった。安藤昇は、予科練に入隊するが、戦後復員して、愚連隊となって活躍する。安藤組は、愚連隊でありながら、大学を卒業した者が多く、非常に良いとこの「ボンボン」という感じがする。育ちの良さと言ったらいいのか。安藤昇は、横井英樹を襲撃して刑務所に入り、安藤組は解散する。その後、安藤昇は、ふとした縁で「映画界」に入ることになる。最初の頃は、3流監督の作品ばかりで、安藤昇の良さが全く生かされていない。ただ、「元やくざ」という肩書を利用したものであった。しかし、松竹から東映に移籍して本格的に映画に出演し始めると、安藤昇は、異彩を放つ。当時、高倉健、鶴田浩二が任侠映画のスターであった。任侠映画が廃れると、東映は、「仁義なき戦い」を中心に「実録やくざ映画」の制作に乗り出す。安藤昇の演技は、何処か乾いていて、全く「ナルシシズム」がないのである。スターとなれば、自分の演技に酔った部分が見え隠れする。特に、高倉健の演技は、ナルシシズム以外の何物でもない。安藤昇が素人だからと言う訳ではないと思う。やはり、戦争体験が大きいのではないだろうか。大正15年生まれの安藤昇。大正生まれの男は、やはり戦争に翻弄された。明日死ぬかもしれない状況を生き抜き、戦後社会の価値観の変容に戸惑うしかなかった。必然的に安藤昇にも虚無感のようなものが生まれて当然だと思う。安藤昇のエピソードで一番好きなのは、「男はつらいよ」の原作者は自分であると主張していることだ。「望郷と掟」という作品に山田洋次が助監督として就いた。安藤昇は、山田洋次を気に入り、「やくざが、市民社会の中に入って騒動と笑いを引き起こすというやくざ喜劇」の映像化を勧めたという。しかし、山田洋次は、断った。そして、一か月後、「フジテレビ」のドラマ版「男はつらいよ」が始まった。安藤昇は、「山田洋次に会ったら、締め上げればならん」と語っている。このエピソードは、安藤昇の映画に対する感覚の鋭さと不思議なユーモアが如実に表れている。安藤昇は、50を手前に俳優を辞める。大の大人が、偽物の拳銃を持って、やくざごっこしているのが馬鹿馬鹿しくなったという。最近の俳優で目に付くのは、自分の演技に酔い痴れている者があまりにも多いことだ。特に、福山雅治。歌を歌うのを見ていて、不愉快で仕方がない。「どれだけ、自分が好きなのか」と言いたくなる。安藤昇のような大人の色気を持った俳優がいなくなったのは残念である。