孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

バリバラ 「感動ポルノ」に抵抗して 「障害者も健常者と同じ」というスタンスで番組を制作 逆に「障害者を見せ物にしている」 「障害者が口に筆を加えて懸命に絵を描く姿」に感動してもいいじゃないか!

「バリバラ」というNHKの番組がある。「障害者も健常者」と同じ人間であるというコンセプトで番組が製作されている。「感動ポルノ」という言葉がある。「障害者」が懸命に何かを成し遂げる姿を見て、「健常者」が「幸せ」を感じる。確かに、人間というものは、醜悪な生き物である。「自分より不幸な人間」を見て、「自分は、まだあいつよりも恵まれているという優越感」を持つことは大にしてある。「バリバラ」は、「感動ポルノ」に抵抗して、「障害者も健常者と同じで、醜い部分を持った人間である」というスタンスで番組が製作している。この番組のプロデューサーの顔を見たことがあるが、非常に「意地悪そうで、嫌な感じ」の男であった。現在は、その男の名前が、クレジットされていない。「バリバラ」は、「身体障害者」「知的障害者」のみならず、様々な「マイノリテイ」に焦点を当て始めた。最近では、「性的少数派」「ひきこもり」はたまた「部落出身者」にまで拡大している。「方向性」が違うのではないだろうか。「バリバラ」の前番組であった「きらっと生きる」は、「身体障害者」と「知的障害者」に絞られていた。「きらっと生きる」は、障害というハンディキャップを乗り越えて懸命に生きている人たちを紹介した。「障害」を持つということは、やはり「健常者」と違って、「苦難」を強いられる。例えば、「目の見えない人間」がどれだけ、街を歩くことが「命がけ」であるか。「目の見えない人間」が、駅のホームから転落する事故は続発している。「暗闇」の中で生きていることの「絶望感」を私たちは、想像だに出来ない。「バリバラ」は、「障害」というものを肯定し、「個性」というスタンスを取る。私は、「障害」は、「個性」などという生易しいものではないと思う。また、「バリバラ」に出演している障害者は、比較的恵まれた境遇にある。「重度の障害があって」目も背けたくなるような過酷な状況で生きている人間は出演しない。本当は、そういう「障害者」の日常にまで迫るべきだ。「障害者」が、口に筆を加えて、懸命に絵を描く姿に感動する。私は、このことが「感動ポルノ」などとは絶対に思わない。「心から純粋に応援する心」に嘘偽りがないだろう。「バリバラ」は、従来の「障害者観」を排したつもりが、逆に「障害者も見せ物」にして新たな差別を生んでいる。制作者と視聴者の鈍感さに私は怒りを感じてならない。