孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

いのちの電話 意味があるのだろうか? 近所の本当に自殺する気がない 朝日新聞「声」常連投稿者の変なおばさん 78歳 いのちの電話の番号を手元に置いていると豪語 育成する精神科医もあまり評判の良くない 金儲けしか考えていない精神科医 

数ヵ月前にテレビで「いのちの電話」の特集を見た。「いのちの電話の相談員」が不足しているという。有名人が自殺すると必ず「いのちの電話」を紹介する。自殺する人間は心を病んでいる場合が大半である。しかし心を病んでいるからと言って必ずしも自殺するとは限らない。つまり心を病んでいることは,自殺の必要条件ではないということだ。自殺は衝動的にするものではないだろうか。私の近所に自殺願望を口走るおばさん78歳がいる。このおばさんは、早くから「選択的夫婦別姓」を実践したり、朝日新聞の投書「声」に投書されて採用されたりして、「市民活動家」を気取っている。しかしこのおばさんは、現在78歳にして夫と別居している。生活費はすべて夫まかせ。私が「朝日新聞の投書欄の投稿する良識的市民」を常々痛烈に批判するのは、こうしたおばさんのような言動不意一致の似非インテリに過ぎないからではないかと考えているからだ。このおばさんは数年だけ、高校教師をしただけで、ずっと78歳まで無職なのに「元高校教師」という肩書で市民活動をしている。「選択的夫婦別姓」と偉そうな事を言いながら、夫のお金で生活しているのである。話が逸れてしまったが。私の地元で「いのちの電話の相談員」を育成する講師にある精神科医の名前があった。この精神科医は、お金儲けしか考えおらず、地元で「音楽活動をしているチンピラミュージシャン」らと交際している。この「チンピラミュージシャン」の中学の先輩である。顔を見たでけで、嫌な奴である。そうした精神科医が一体何を教えるのだろうか?そもそも精神科医は他の診療科目よりも楽である理由で選んだ場合が多い。一番大変なのは、脳神経外科のお医者さんではないだろうか。また頭も良い。精神科医も、「頭のおかしい人の話を1日聞いていなければならなくて大変」という反論があるだろう。しかし、3分診療で適当にあしらっているのが現実である。人生が苦しくて、話を聴いてくれる人がいなくても、「いのちの電話」にかけるべきではないと私は思う。