本日の「朝日新聞」の投書欄「声」に、全くおかしい投稿があった。
内容は、自分の叔父が亡くなって、お葬式の「弔電」の名前が、「女」の自分ではなくて、「夫」になったことが悔しいという趣旨のもの。
この女の主張は、生活の様々な場面において、いまだ「男尊女卑」が根強く残っている風潮を批判するものである。
田舎では、慣習が残っていて、それが、取り立てて、「女性の人権」を蔑ろにする意図があるとは決して言えないものがある。
そういう「慣習」にまで文句を付けるのは、「フェミニスト」のヒステリックな言いがかりとしか言いようがない。
また、「ジャンダー平等」「選択的夫婦別姓」などの「朝日新聞社」の偏向報道は、行き過ぎである。
「共産党」の機関紙「赤旗」の読者投稿欄を調べたことがあるが、嫌味がなくて、「日常生活」に即した事を書いた文章が多い。
「朝日新聞」の愛読者は、自らを「良識的市民」「知識人」と自認して、思い上がっているようだ。