孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

松本人志が司会していた 「働くおっさん劇場」の福田浩司さん イケてない中年男の「最大公約数」的な存在 強烈な個性は面白過ぎた

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最近の松本人志の番組は全く面白くない。松本人志が、絶大な権力を持ったことと、文化人的ポジションになったからだ。また、吉本興業の芸人たちが、松本人志を神様のように崇拝するのもいかがなものかと思う。松本人志について論じていたら、限りないので止めて置くが。かつて、松本人志が司会していた「働くおっさん劇場」という番組があった。強烈な「おっさん」が出演して、様々な企画に臨むという趣旨であった。女装した元大学教授や、タクシードライバーなど正体不明であるが、個性の強いおっさんたちが出演した。私が、そのおっさんたちの中でも最も印象に残っているのは、福田浩司さんだ。挙動不審で、何を言っているのか良く分からない。佐藤江梨子のファンで、俳優を目指していたというが、怪しさ満点で、松本人志の「つっこみ」にもインチキな返しをする。福田浩司というのは、本名であるか知らないが、テレビの演出として、わざと「怪しい人」を演じているとしたら、演技力抜群の大名優である。福田浩司さん的な「イケてない中年男」は、今の世の中にかなりの数存在すると思う。まず、「人からどのように思われているか」という自意識が希薄なオタク。次に、「モテない」こと全く気にしないため、不可解な言動を取って、ますます女から嫌われる非モテ。そう言った特色を福田浩司さんは、兼ね備えているから、強烈な印象を与えるのだと思う。少し前いや、だいぶ前になるだろうか。「キョどる」という言葉が流行した。挙動不審なことを意味する言葉である。若者の間では、少しでも他者と違う言動を取れば、仲間外れにされる時代の風潮を最も表した言葉だと思う。自覚なく「キョどる」人は、多い。しかし、意識的に「キョどる」ことによって、笑いを得るの至難の業だと思う。福田浩司さんが、面白いのは、意識的か無意識的かを超えた次元で、「キョどって」いるから面白いのではないだろうか。最近の芸人がくだらないのは、才能がないのに、強引に「笑い」を取ろうとする打算が見え見えだからである。福田浩司さんのような強烈な「キャラ」を持った人間が、今のお笑いの世界にいないのがあまりにも残念である。

 

何故かくも「無個性な人」ばかりの世の中になったのか? 人と違う生き方を主張する私は 「出る杭は打たれる」で非常に生きづらい

日本人は、同調圧力が非常に強いが、最近ますますその傾向が強くなってきた。発達障害や、挙句の果てに、HSPという不思議な名前の病気がブームになっている原因の一つとして、過剰なまでに「コミュニケーション能力」を求められる時代になったことがあると思う。発達障害は、元々自閉症に起源がある病気である。それににもかかわらず、知的障害を伴わなわず、少しばかり「コミュニケーション能力が他人より劣っているからという理由で、精神科を受診して、無理矢理に「発達障害」と診断されるケースが、この10年の間に増加した。過剰診断、誤診が、精神医療の現場で起こっていることは、非常に許せない。結婚して、子供までいる主婦が、40歳を過ぎて、「発達障害」と診断されることなんて、常識的に考えてあり得ない。「自分の生きづらさ」を「発達障害」という病気のせいにすることによって、自分が本来向き合わなければならない「人生の課題」から逃げることにもなり得る。「発達障害」という病気が、ブームになったために、本当に「救済するべき自閉症の人たち」の人権が蔑ろにされているように思えてならない。自閉症の人たちは、知的障害や精神障害など重複して困難を抱えている場合が多い。社会が、「発達障害」の支援ばかりに注目して、「自閉症の人たち」の支援が手薄のなっている。そもそも「コミュニケーション能力」とは何なのか再考する必要があるのではないだろうか。私自身は、非常に強烈な個性を持った人間であるため他者から誤解されやすい。それは、私自身の個性であって、恥じることなど何一つないと思って生きている。しかし、生きづらさを日々感じざるを得ない。それにしても最近思うのは、「無個性」な人が著しく増加したことだ。人間臭い味のある者と出会う機会がほとんどなくなった気がしてならない。またそういう深みがあって、個性の強い人間を社会が必要としなくなったように思えてならない。新自由主義の影響により、何事も「効率優先主義」という風潮で、組織の秩序を乱す人間は、造反者として、何らかのペナルティーを与えるような構造になった。個性を全面的に押し出してしまうのは、悲しいかな私の性であると諦めて、居直るしかないと思う今日この頃である。

 

「餃子の王将」黒幕の名前と浮上してきた 部落解放同盟の上杉佐一郎の異母弟の上杉昌也 美空ひばりとも親交が深い 「同和タブー」を野放しにしてきたメディアの功罪は大きい

王将フードサービスの大東隆行さんを殺害したとして、工藤会系幹部の田中幸雄が逮捕された。現場の遺留品から検出された、DNAから地道に捜査を続けて、犯人特定に結びついたとして、京都府警の地道な捜査を礼賛する声には疑問を感じてならない。これほどの捜査に9年も費やすのは、とても優秀な捜査とは言い難い。昨年、工藤会のトップに死刑判決。ナンバー2に無期懲役の判決が下されたことと無縁ではないだろう。聞くところによると、今回の逮捕に踏み切ったのは、大阪高検刑事部長に就任した上野正晴検事による所が大きいという。上野正晴は、かつて福岡地検小倉支部で、工藤会の壊滅に向けた頂上作戦の指揮を執った人物であった。そして、2018年に京都地検に異動になったことで、状況が一変した。工藤会田中幸雄は、ただのヒットマンに過ぎず、背後に指示した人物がいることは誰の目にも明らかであるが、今後一刻も逮捕するべきだと思う。黒幕と浮上してきたのは、上杉昌也。部落解放同盟の故上杉佐一郎中央執行委員の異母で、ゴルフ場経営者。餃子の王将の創業者である加藤朝雄氏からの付き合いで、新規出店時の役所の交渉や、暴力団が絡んだトラブルの際に力を貸してきた。週刊新潮の取材によると、上杉昌也の所に、2014年に京都府警捜査1課の警察官2人が、訪ねてきて、「上杉さん、王将の犯人は、あんたしかおらんのや」と迫ってきたと証言している。1990年代後半の住専問題で、上杉昌也の会社も大口融資先として住宅金融債権管理機構から、50億円の返済を求められていた。その際に手助けしたのは、創業者の次男で財務担当専務の欣吾氏だった。上杉昌也は、このように、餃子の王将に食い込んでいたのである。上杉昌也の異母兄である部落解放同盟の上杉佐一郎は、差別された人々に対する「人間解放」と神格されたが、裏の顔もあった。餃子の王将の創業者加藤朝雄氏とも親しく、王将が、餃子の店を全国に開いた時に、300億の資金をメガバンクから調達している。京都の闇社会に詳しい「不動産ブローカー」によると、「部落解放同盟のハンコさえあれば、税金フリーパスだった。京都の財界人も多かれ少なかれ世話になった」と証言している。神格化された上杉佐一郎を痛烈に批判した人物がいる。その名前は、野坂昭如氏だ。1987年2月26日に、上杉佐一郎の出版パーティーが、東京のホテルニューオータニで開催された。招かれた野坂昭如氏は、次のように語った、「解放同盟というものは、もっと地道な活動をするところだと思っていた。めでたい席で、野暮は承知で言うのだが、こんな一流ホテルで、23万円の会費を払って盛大なパーティーをやることと、部落解放同盟がどこでひっつくのか、今部落解放同盟が抱えている問題は、こんなところで、酒を飲んで解決するものではないはずだ。ちょうどいい機会だから、議論をやりましょう。僕の言っていることに、文句のある人は、上がってきて対決しましょう」と。泣く子も黙る部落解放同盟に喧嘩を売る野坂昭如氏の反骨精神には改めて感心させられる。伊達に「焼け闇市派」と呼ばれてはいないことを再認識させられた。私は、野坂昭如が好きで、この発言は本当に正鵠を射ていて、氏のセンスが発揮されていると思う。「同和利権」については、共産党系の一ノ宮美成、寺園敦史といったジャーナリストが一連の書籍で追及してきた。部落解放同盟という絶大な権力をもっと組織が持つ醜悪な面について。メデイアの大半は、「部落解放同盟」に糾弾されることを恐れて、「タブー視」してきた。今回の餃子の王将の射殺事件もそうした延長線上にあることは間違いないだろう。

電車の中で「恋バナ」を延々と話し続ける女二人組 「恋愛以前」に人としていかがなものか? それにしても馬鹿な女が増え過ぎた

昨日電車に乗っていると、不愉快で極まりない出来事に遭遇した。二人の女が、「恋バナ」を延々と周囲の客をはばからず、大声で話し続けるのである。2人が、電車を降りるまで、話し声は途絶えることはなかった。夕方の通勤ラッシュで、電車内は混んでいたが、相当目立っていたが、誰ひとりとして、この馬鹿な女二人を注意する人間はいなかった。私だけが腹が立ち、「ブチ切れそうになる」のを我慢していた。仮にこの馬鹿な女二人に、ブチ切れても、「何、キモい」と言い返されるのが落ちであっただろう。様々な公共の空間で、「恋バナ」を大声で話す女が多いが、昨日のケースはあまりにも酷いものであった。聞こうとしなくても、嫌がうえにも話が耳に入ってきた。内容は、「彼氏に浮気された」から始まり、もう一人は、「太っているのを、どうしたら良い」かと相談するものであった。年齢は、21,2歳で二人とも、ブサイクな女で、性格も悪そうであった。太っている女は、努力もせずに、楽をして、「痩せる方法」をしきりに考えていた。思わず、「運動して、痩せればええだけや、馬鹿」と忠告したい衝動に駆られた。私は、毎晩ランニングを続けている。運動不足で、体重が増加したことを指摘されたためである。私の場合は、身長173㎝で、70キロオーバーになっていた。BMIをオーバーしているが、誰が見ても「太っている」ようには見えなかった。しかし、その一言が、気になり始め、ちょうどランニングを続けて2年が経った。おかげで、10キロの減量に成功した。何故、私が、これほど自らの体型にこだわるのか。やはり、完璧主義であり、歳と取っても「モテたい」と思う気持ちがあるからだ。電車内で、「太った女」の発言を聞いていて、腹が立ったのは、努力をせずに、「痩せたい」と考える女があまりにも多いことにある。摂食障害という病気は、精神医学上「成熟への拒否」と言われた。しかし、最近の女子を見ていると、「ただのわがまま病」ではないのかと思えてならない。モデルや女優は、自分の体型を維持するために、運動と厳しい食事制限をしているからこそ、テレビに出ても恥ずかしくない姿を晒すことが出来る。しかし、一般の女は、そうした努力をせずに、「理想の体型」を手に入れようようとする。勘違い、思いあがり、自惚れも甚だしい。「公共の空間」で「恋バナ」をする女が、それにしても増えた。こういう手合いは、恥や自意識といった感情が全く欠落しているのではないかと思えてならない。また、「恋愛」というより中学生の「恋愛ごっこ」をしている女も多い。コロナ禍で、電車内が込んでいても、延々と「恋バナ」をし続ける女二人組を見て、いつから「勘違いした馬鹿な」女が闊歩するようになったのかと暗澹たる気持ちにさせられた。

 

「中二病」的な感性こそが 「創造性」や「独創性」を生み出し言動力になる 成熟するよりも「青臭さ」を残した大人の方が人間味があると思う

中二病」という、ネットスラングがある。Wikipediaなどには、様々な書き込みがなされている。いずれにしても、中学2年生頃の思春期の男の子たちが持っている特性を大人になっても、引きずっているというネガティブな意味が込められている。しかし、私は、「中二病」的な感性こそが、今の社会を生き抜いていく上で必要だと思う。最近の中学生と私たちの頃の中学生とは、全然違う生きもののように感じてならない。最近の子供たちは、まず、スポーツが出来ることが、格好良いことと見做さない。統計によると、運動クラブに所属している子供たちも減少傾向にある。私たちの頃は、「スポーツが出来る」=「女の子にモテる」といった風潮があった。しかし、最近の子供たちは、汗を流し、キツイ練習に耐えることが「ダサい」ことと考えている。要するに効率的ではない、直ぐに結果が出ないことに時間をかけることなど「時間の無駄」と見做すようになった。スポーツをするよりも、SNSで、情報交換をすることの方が、最優先で、汗を流して、必死の練習するなど、「あり得ない」ことになったのだろう。女の子の方でも、スポーツを頑張っている子よりも「お洒落」に気を使っている「ファッションセンス」の良い男の子の方がちやほやされるようになった。要するに「モテ基準」が、大きく変化したのである。「中二病」は、成熟しきれない大人のこと指す。しかし、成熟した大人よりも、何時までも、「中学二年生」的感性を持った男の方が、私は好きだ。作家や映画監督、芸術家といった仕事で成功する人たちを見ていると、「中二病的」な感性を持っていることが多い。虚構の世界に自分の想いを投影していく作業には、必然的に「現実社会から逸脱した感性」が必要となってくる。夢を売る仕事は、サラリーマンのように「現実的」「妥協的」に生きてはいけないものだと思う。「中学生日記」というNHKで放送されている長寿番組があった。制作は、NHK名古屋放送局。出演陣は、名古屋の劇団の役者で占められていた。竹下景子森本レオも出演したことがあるほどの歴史がある番組だ。この「中学生日記」を私は、中学生の頃に、毎週楽しみに見ていた。「3年B組金八先生」よりも、はるかに、等身大の「中学生」を描いていて、非常に心に迫ってくるものがあった。「3年B組金八先生」は、大袈裟な話ばかりで、およそリアリティーの欠くものであった。一方、「中学生日記」は、地味な話であるが、思春期の子供たちが思い悩む姿が印象的で、今も思い出の番組として、私の中にある。最近の子供たちは、妙に冷めていて、人間臭さや、泥臭さが全く欠落している。SNSの影響だけではないもっと社会の病理が反映されているのだろう。人から失笑を買っても「中二病的」な感性を大切にするべきだと、私は思う。

「創価学会」が関与した可能性の高い 東村山市議転落事件 今も「母の死の真実」を追及し続ける 朝木直子さんの熱い想いと執念

11月6日に東村山市民センターで政治と宗教を考える「シンポジウム」が開催された。「統一教会創価学会を中心に」というタイトルで、ゲストに有田芳生氏、乙骨正生氏、元タレントの長井秀和氏などが参加した。乙骨正生氏、タレントの長井秀和と言えば、「創価学会」の内部事情に精通している。何よりも、このシンポジウムに熱い思いを持っているのは、朝木直子氏である。朝木直子氏は、謎の死を遂げた元東村山市議会議員の朝木明代氏の娘さんであり、今も事件の真相を求めて、様々な活動を続けておられる方である。1995年東村山市議会議員であった朝木明代氏が、ビルから転落死した。この事件を巡っては、「自殺説」と「他殺説」が争われている。検察、警察は、何の根拠もなく、「自殺説」と断定して、事件の幕引きをした。しかし、一部の志のあるジャーナリストたちが、週刊誌に朝木明代氏の死は、「創価学会」による謀殺説を唱えたが、名誉毀損で提訴されるなどして、創価学会の反撃に合い、週刊誌は手を引かざるを得なかった。素人目にも、この事件は、不自然な点があまりにも多すぎることは分かる。生前に朝木明代氏は、創価学会の脱会者の救済活動をして、議会においては、創価学会公明党を批判し、一貫して「反創価学会」の立場を貫いていた。「自殺説」によれば、朝木明代氏は、万引きをして、書類送検されることを苦にして、自殺したというものである。しかし、この万引き事件も不可解な点があり、朝木明代氏は、冤罪である。自殺する3か月前に東村山駅洋品店から、1900円のシャツを万引きしたとして書類送検された。万引きをした6月19日の午前中に朝木明代氏が着ていた服と、この洋品店の店主が目撃した犯人の衣服が違うなど矛盾点があまりにも多すぎて、信憑性がないこと。そして何よりも看過できないのは、朝木明代氏が不審死を遂げた事件の捜査を指揮した東京地検八王子支部の検事が、創価学会員であったことだ。この検事は、創価中学、創価高校創価大学法学部という経歴の持ち主で、謂わば、「創価学会」のエリートであった。捜査に対して、何らかの忖度があったことは誰の目にも明らかである。創価学会が関与されたとされる事件は、すべてに闇に葬り去られて来た。伊丹十三監督の自殺、タレントの北野誠氏のラジオ番組の降板と。今も、母の朝木明代氏の死を追及し続ける朝木直子氏の熱い想いには胸が打たれる。