「中二病」という、ネットスラングがある。Wikipediaなどには、様々な書き込みがなされている。いずれにしても、中学2年生頃の思春期の男の子たちが持っている特性を大人になっても、引きずっているというネガティブな意味が込められている。しかし、私は、「中二病」的な感性こそが、今の社会を生き抜いていく上で必要だと思う。最近の中学生と私たちの頃の中学生とは、全然違う生きもののように感じてならない。最近の子供たちは、まず、スポーツが出来ることが、格好良いことと見做さない。統計によると、運動クラブに所属している子供たちも減少傾向にある。私たちの頃は、「スポーツが出来る」=「女の子にモテる」といった風潮があった。しかし、最近の子供たちは、汗を流し、キツイ練習に耐えることが「ダサい」ことと考えている。要するに効率的ではない、直ぐに結果が出ないことに時間をかけることなど「時間の無駄」と見做すようになった。スポーツをするよりも、SNSで、情報交換をすることの方が、最優先で、汗を流して、必死の練習するなど、「あり得ない」ことになったのだろう。女の子の方でも、スポーツを頑張っている子よりも「お洒落」に気を使っている「ファッションセンス」の良い男の子の方がちやほやされるようになった。要するに「モテ基準」が、大きく変化したのである。「中二病」は、成熟しきれない大人のこと指す。しかし、成熟した大人よりも、何時までも、「中学二年生」的感性を持った男の方が、私は好きだ。作家や映画監督、芸術家といった仕事で成功する人たちを見ていると、「中二病的」な感性を持っていることが多い。虚構の世界に自分の想いを投影していく作業には、必然的に「現実社会から逸脱した感性」が必要となってくる。夢を売る仕事は、サラリーマンのように「現実的」「妥協的」に生きてはいけないものだと思う。「中学生日記」というNHKで放送されている長寿番組があった。制作は、NHK名古屋放送局。出演陣は、名古屋の劇団の役者で占められていた。竹下景子、森本レオも出演したことがあるほどの歴史がある番組だ。この「中学生日記」を私は、中学生の頃に、毎週楽しみに見ていた。「3年B組金八先生」よりも、はるかに、等身大の「中学生」を描いていて、非常に心に迫ってくるものがあった。「3年B組金八先生」は、大袈裟な話ばかりで、およそリアリティーの欠くものであった。一方、「中学生日記」は、地味な話であるが、思春期の子供たちが思い悩む姿が印象的で、今も思い出の番組として、私の中にある。最近の子供たちは、妙に冷めていて、人間臭さや、泥臭さが全く欠落している。SNSの影響だけではないもっと社会の病理が反映されているのだろう。人から失笑を買っても「中二病的」な感性を大切にするべきだと、私は思う。