孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

私の「小学校1年生の夏の作文」 「朝も昼も夜も一輪車の練習をしました」 数多くの習い事をして「模範的な子供だった」のに どうして「こんなしょぼいおじさん」になったのか?

私の小学校1年生の時に作文を引っ張り出してきて読んだ。本当に、「何事にも一生懸命に取り組んでいる」のが分かった。その中の作文で、一番印象的だったのは、「一輪車の練習について書いた作文」。「朝も昼も夜も、僕は、一輪車の練習をしました」という趣旨の内容が書かれていた。今の子供たちは、一輪車をするのだろうか。私は、1981年生まれである。私たちの世代は、「一輪車」がブームであった。この「一輪車の作文」に、私の性格が如実に現れていると思う。まず、「負けん気が相当強い」こと。私は、どうやら人と争うことが好きな性格のようだ。その根底には、「異常なまでのプライ度の高さ」と「自己顕示欲」がある。最近では、運動会で子供たちに「順位をつけない」という教育方針が提案されている。確かに「ランク付けする」事によって、人間の優劣を決めつけるのは問題がある。しかし、「運動」や「スポーツ」は、ある程度の「努力」によって向上する面も否定し難い。大人になると、自分の力では抗えない不可効力なものに支配されてしまう。せめて、「努力することによって、順位が上がる喜びや達成感」を子供をたちに味合わせても良いと思う。この落ちがあって、私は、「一輪車大会」に出場して、一位になって優勝した。私は、数多くの「習い事」をしていた。「スイミング」「書道」「そろばん」と。どの「習い事」も全力で向きあい努力をした。「書道」では、「自分が気に食わない文字だと、破り捨てて、満足がいくまで、何回も書き続けた」。そうした「完璧主義」が、後に「私自身の破滅」を引き起こした最大の原因であることは間違いないだろう。つまり「理想」を求め過ぎると、「自分が想定していた現実」ではない「想定外の現実」に遭遇した時に、自暴自棄になってしまうということだ。つまり、「何事もほどほど」が一番であるというこである。私は、現在「しょぼくれた中年男」になろうとしている。しかし私は、まだ人生を放棄していない。