孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

小学校1年生の時の「夏休みの日記」に「ひま」「ひま」と書き綴っていた私 一方で習い事も真剣にやっていた 「何をやっても満たされない空虚さ」を抱えた複雑な子供だったと思う

私の小学校1年生の時の「夏休みの日記」を見ると、「ひま」「ひま」と書き連ねているのである。何もしない、怠け者であったかというと、そうではない。「ペン習字」「スイミングスクール」などの習い事を一生懸命に取り組んでいた記憶が微かにある。特に「ペン習字」は、完璧主義なのか、自分が納得できないと思うと、紙を破り捨てて、何回も書き直した。その結果、賞をもらって、百貨店で展示して貰った。大人になった今より、子供の頃の方が字が上手であると思う。「スイミングスクール」は、5歳になる前から通ったような記憶がある。また、「一輪車」を必死に練習して「一輪車大会」に出場して、優勝した。「一輪車」を朝、昼、晩と練習したという記述がある。私の弟など、5mぐらいしか泳げない。弟は、運動新経が非常に悪い。中学の時の「水泳の授業」では、5mしか泳げないのに、クラスの「笑い者」や「いじめの対象」にならず、要領良く、乗り越えたようだ。一般的に「運動神経の悪い子供」は、クラスのいじめの対象になりやすい。最近の子供たちは、そうではないようだ。価値基準が大きく変わり、「運動の出来る子」「勉強の出来る子」など一目置かれなくなった。弟は、「いじめの対象」にならなかったのは、「要領が良い」「ずるがしこい」からだ。だから、私と違って、社会で適応できるのである。私は、「嘘」をつくことができない性分で、「本音」を優先する。そのため、他者と衝突したり、勘違いされたりして、「社会生活不適応者」となったのだろう。小学校1年生の時の「夏休みの日記」に「ひま」「ひま」と書き連ねたのは、どういった「心理」なのだろうか。近所の子供たちとも遊んでいたので、決して「孤立した子供」でもなかった。おそらく、私なりに自己分析すると、どこか「空虚さ」を抱えた「哲学的」な子供であったのではないだろうか。「習い事」を一生懸命しても、友達と遊んでも、「どこか満たされない感情」があったということだ。そうした「複雑な性格」は、どうやら大人になった今も私を悩ませているのだろう。