孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

成毛眞さん・書評サイトHОNZ

成毛眞さんは、書評サイト「HОNZ」を運営されている。賛否両論があるだろうが、今の時代に相応しいことをされていると思う。若者の活字離れが、甚だしい。また、ネットやスマホなど様々なツールが進歩して、読書するなど、時代遅れの行為と見做されががちである。何でも、ググれば、断片的な情報を入手できる。かつては、小難しい本を読むことが、青春の特権のようであった。今は、東京大学の学生でも、あまり本を読まなくなっている。頭の良い彼らは、絶対に無駄なことをしない。受験に必要なテクニック、すなわち、情報処理能力だけは、突出して長けている。小論文、あるいは、現代文の記術式設問も、卒なく答え、合格点に達してしまう。それは、ある意味で、才能があるのだろう。しかし、読書を軽視し、一流企業や、官僚になっても、何の面白みのない人間になってしまうのではないだろうか。教養主義時代とニューアカブームの時代のような、知的ファッションとしての読書は、問題外である。意味も分からず、本を持ち歩くことほど、恥ずかしいものはない。成毛眞さんは、次のように発言されている、「本を読んで知識が増えると、いままで話をしなかった人たちとも会話ができるようになって、話す人が増えるってことは、人生の選択肢が、増える。今でいう、ハッシュタグを自分に付けているようなものです」と。「ハッシュタグを自分に付ける」という表現は、言い得て妙である。成毛眞さんは、サイエンス系の本が好きで、10冊の本を同時並行に読まれておられる。「難解な本を熟読玩味するべき」という固定観念を払拭するべきである。自分が、読みたいと思う本を探すのが、難しくなってきている。朝日新聞毎日新聞、読売新聞、それぞれ、性格の異なった、書評が、週末に掲載される。これらの書評が、少しも面白くない。学者先生の政治的な力関係が、見え透いて、嫌気がさしてくる。Amazonのベストセラーなどは、本当にくだらない。やはり、本屋さんに足を運ぶことが、何よりも大切なことだと思う。本棚に手を当てて、自分が、読みたい本を探す、そうすると今まで関心のなかった本に遭遇することもある。そういったアナクロニズムを馬鹿にしてはいけないだろう。成毛眞さんの読書術は、AI時代を生き残る戦略でもある。