準強姦罪に問われていた、福岡市の会社役員、椎屋安彦被告の上告審で、最高裁第一法廷は、12日付で、被告の上告を棄却する決定を出した。1審、福岡地裁久留米支部の無罪判決を破棄し、求刑通り懲役4年を言い渡した2審、福岡高裁判決が、確定する。「フラワーデモ」が、性犯罪の判決に異議を申し立て、判決が覆され始めた。今回の判決もその影響を大きく受けている。娘への性的暴行を繰り返していた父親に対して、名古屋地裁岡崎支部で無罪とされたケースは、「娘への同意なく性的虐待を続けていたことは」、認めたが、「著しく抵抗できない状態ではない」として無罪判決が、下された。この事件は、「フラワーデモ」が、裁判に干渉するきっかけとなった、事件の1つである。近年、性犯罪の厳罰化が進んでいる。裁判員制度の判決においても、職業裁判官よりも、裁判員の方が、性犯罪に対して、重い判決を下している。これは、危険なことではないだろうか。性犯罪は、反社会的行為で、被害者に過大な心の傷を負わしてしまう。しかし、処罰的感情のみが先行してしまうと、個別の事件に対して、客観的な判断がなされなくなる懸念がある。2017年には、刑法改正が110年ぶりになされた。強姦罪が、強制性交等罪に名称が変わり、刑期も引き上げられた。日本の刑事裁判の歴史を振り返って、法廷外の運動で、判決を揺るがし、勝訴した事件は、あまりにも少ない。昭和24年の松川事件、昭和29年の島田事件ぐらいしか思い浮かばない。松川事件では、列車を転覆させたとして、労働組合員が、犯人として逮捕された。この事件は、他の労働者が結集するとともに、広津和郎などの知識人たちも関心を寄せたために、無罪判決につながった。その当時の最高裁長官である田中耕太郎が、「世間の雑音」と批判したことは、あまりにも有名なエピソードである。島田事件は、全く事情が異なる。被告人にでっちあげられた、赤堀政夫さんは、知的障害者であった。そのため、障害者運動の一貫として、この事件を支える活動が、盛んになった。それでも、再審無罪になるまで35年もの月日を費やしている。現在も冤罪を争って何十年も、犯人であると汚名を着せられ、暮らしている人たちが存在する。多くの冤罪事件では、大所帯の弁護団のみならず、多くの支援者が支え、裁判所に無実を訴えている。それにも関わらず、再審無罪という判決を勝ち取ることが困難なのが、わが国の刑事司法の実情なのである。田中耕太郎最高裁長官が、言い放った、「世間の雑音」を聞こうとしないのが、裁判所であることに変わりはない。雪冤を果たせず無念の内に、刑務所で死んでいった被告人の無念を思うと、「フラワーデモ」が持つ思想の浅はかさを感じざるを得ない。