孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

長渕剛的なものについて

長渕剛のファンが多い。確かに、カリスマ的な存在で、絶えず、自分のイメージを刷新していく有様は、まるで求道者である。80年代の一連のやくざ者のテレビドラマで、長渕剛は、新境地を開き、世間に圧倒的な存在感を見せつけた。「とんぼ」「しゃぼん玉」にしても、世の中に異議申し立てるとういう、スタイルが、バブルに浮かれたその当時にあって、魅力的だったのだろう。主人公が正義感に燃えて、とにかく熱い。「とんぼ」の最終回で、やくざ者に刺され、血まみれになって、立ち上がろうとする姿は、今も強烈に焼き付いている。権力と対峙して、敗北するという筋書きは、70年代のテレビドラマを彷彿させる。後に、「ウォタームーン」で工藤栄一監督とトラブルになるの非常に残念で、後の長渕剛の役者として、負の影響を与えたのではないだろうか。工藤栄一監督ほど、パッショネートに溢れ、反社会的な作品を手掛けた映画監督はいない。「13人の刺客」「大殺陣」「横浜BJブルース」といった名作があるが、一般受けしない。そのため、東映の中でも、B級監督と冷遇される。工藤栄一監督が、本領を発揮したのは、「必殺シリーズ」だ。自分の原案を工藤監督に依頼しながら、長渕剛は、現場で、意見が、食い違う。映画監督は、どうしても、役者を自分の思い描いているイメージにあてはめ、ダメ出しもする。他人の意見を聞かない、独善的な長渕剛にとって、面白くないのは当然のことだろう。もし、工藤栄一監督と波長が合い、指示を守り、演技をしていれば、新境地を開いていたかもしれない。その後、役者としての長渕剛は、あまり活躍しない。極真空手を習い、無意味な、マッチョな体を見せつけるだけになった。昨年、公開の「太陽の家」も20年ぶりの、映画出演となったが、今ひとつとういう気がした。「長渕剛」教なるものが存在するぐらいに、熱狂的な長渕剛ファンが多い。まるで、矢沢永吉のファンが群れを成すように。芸能界では、清原和博が、長渕剛ファンとして有名である。ただ、この「長渕剛ファン」には、はた迷惑な人が多いように思えてならない。私の住んでいる、地方都市の市議会議員の1人がそうである。偉そうで、弱い者に強く、強い者に弱い。市の職員の評判もあまり芳しくないようだ。いったい、長渕剛のドラマから何を学んだのだろうか。